鎌倉時代末期、新田義貞と鎌倉幕府軍が衝突した「小手指原の戦い」において、義貞が陣を置いたとされる場所。
歴史・概略
- 「小手指原の戦い(こてさしはらのたたかい)」とは、鎌倉幕府が滅亡するに至った「元弘の乱(げんこうのらん)」における戦闘のひとつ。
- この戦闘が起こる2年前の元弘元年(1331年)から、後醍醐天皇などによる鎌倉幕府倒幕の動きが続けられていた。そして元弘3年(1333年)5月8日、ついに上野国の領主のひとりである新田義貞(にった・よしさだ)が挙兵するに至る。
その後義貞は、幕府の本拠である鎌倉に向け鎌倉街道を南進、新田軍が武蔵国小手指原に差し掛かった11日、それを迎え撃とうとやってきた幕府軍と激突した。 - 源氏一門である義貞は、源氏の象徴である白旗をここに立てたと伝わる。
- ここでは勝敗はつかなかったが、このあと新田軍は幕府軍と戦いながら鎌倉へと進軍、ついには幕府を倒した。
- <鎌倉幕府滅亡に至る新田義貞の主な戦い>
5月5日または8日 挙兵
5月11日 小手指原の戦い
5月12日 久米川の戦い
5月15日 分倍河原の戦い
5月16日 関戸の戦い
5月18日 鎌倉の戦い
5月22日 鎌倉幕府滅亡
見どころ・おすすめ
史跡情報
地図 |
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【場所】 埼玉県所沢市北野 【付近の史跡】
[ 東・約0.1km ] 小手指原古戦場(元弘の乱)
[ 東・約5km ] 八国山(久米川の戦い)
[ 東・約5km ] 久米川古戦場跡(元弘の乱)
[ 東・約15km ] 難波田城公園
[ 北東・約16km ] 川越城
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主な施設 |
白旗塚 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・西武鉄道「小手指」「狭山ヶ丘」駅から約1.8Km 【バス】 ・西武バス「誓詞橋」「所沢ロイヤル病院前」バス停 【マイカー】 ・首都圏中央連絡自動車道「入間IC」から約5Km |