京都府京都市にあった戦国時代の山城。
ほかに北白川城、瓜生山城、勝軍地蔵山城などとも呼ばれる。
歴史・概略
- 永正17年(1520年)、室町幕府管領・細川高国が細川一族の覇権を巡る争いが起こった際、瓜生山(うりゅうやま)に陣を構える。その際山頂に将軍地蔵を安置したことで将軍山城と呼ばれるようになった。現在将軍地蔵は麓に移転されているが、石室が残されている。
- 天文15年(1546年)、室町幕府管領・細川晴元と対立した第12代将軍・足利義晴が将軍山城を改修し拠点とする。
- 天文16年(1547年)、細川晴元との争いにおいて足利義晴・義輝が将軍山城を焼き坂本へ逃走。
- 永禄元年(1558年)、三好長慶と足利義輝が京都北白川、将軍山城、如意ヶ嶽において交戦(北白川の戦い)。
- 永禄4年(1561年)、三好軍が将軍山城跡の六角義賢と交戦。
- 永禄12年(1569年)、「本圀寺の変(三好残党や斎藤龍興ら反信長勢力による将軍・足利義昭の襲撃事件)」において、足利将軍家の詰めの城であった勝軍地蔵山城や市街各所に放火、その後本圀寺にいる義昭を襲撃した。
- 元亀元年(1570年)、「志賀の陣(朝倉義景・浅井長政・比叡山延暦寺と織田勢の戦い)」において明智光秀が延暦寺に対する拠点とする。
- 築城:永正17年(1520年)
- 廃城:不明
- 築城主:細川高国
- 構造:山城
- 主な城主:細川高国、足利義晴、明智光秀
見どころ・おすすめ
- 将軍地蔵の石室-細川高国が将軍地蔵を安置したとされる石室。
- この城の少し東にある白鳥山頂に出丸跡がある。ここまで登ってきたらついでなので寄るといい。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都市左京区北白川清沢口町 【付近の史跡】
[ 南・約1.3km ] 中尾城跡
[ 南西・約1.5km ] 銀閣寺(足利義政東山殿)
[ 北東・約2km ] 水飲対陣之跡(延元の乱)
[ 南西・約2km ] 冷泉天皇 櫻本陵
[ 南西・約2km ] 後一條天皇 菩提樹院陵
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主な施設 |
曲輪・空堀・土塁等 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・叡山電鉄「一乗寺」駅 |