江戸時代初期、山城長岡藩の陣屋がおかれた場所。
歴史・概略
- 勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)の始まりについて確かなことは不明であるが、山城守護の畠山義就が勝龍寺に陣を敷き、次第に勝龍寺城に発展していったとされる。その後三好三人衆と織田との戦いが行われ、「山崎の合戦」の際には明智光秀が後衛の陣地として使用するなどしている。織田支配下では山城の重要拠点のひとつとされたが、豊臣政権下では重要視されず廃城状態となっていたようである。
- 寛永10年(1633年)、旗本の永井直清が2万石(一説には1万2000石)の知行を得て山城国長岡に入った。
入部当初、勝竜寺城の修築を試みたようであるが、あまりの水はけの悪さから修築を断念、勝竜寺城北側(今の長岡京駅周辺)の一帯に新たに陣屋を設けた。中心に本丸、それを囲むように武家屋敷、さらにその外側に足軽屋敷が置かれ、その範囲は小畑川から西国街道にまで及んでいた。 - 慶安2年(1649年)、永井直清が3万6000石に加増、高槻藩に転封となり山城長岡藩は廃藩となった。
見どころ・おすすめ
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府長岡京市東神足 【付近の史跡】
[ 西・約0.3km ] 長岡京発見之地
[ 南・約0.4km ] 勝龍寺城土塁 空堀跡
[ 南・約0.5km ] 勝龍寺城跡
[ 南西・約1km ] 恵解山古墳(明智光秀本陣跡)
[ 南・約1.4km ] 中山修一記念館
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「長岡京」駅から約0Km ・阪急電車「長岡天神」駅から約1.5Km 【バス】 ・京都市バス「JR長岡京東口」バス停 ・阪急バス「JR長岡京」バス停 【マイカー】 ・名神高速「大山崎JCT」から約2.5Km |