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勝龍寺城土塁 空堀跡

勝龍寺城土塁・空堀跡城跡
勝龍寺城土塁・空堀跡

勝龍寺城室町時代から江戸時代初期にかけて京都府長岡京市にあった城。
勝竜寺城・小竜寺城などの字もあてられる。

歴史・概略

  • 読み:しょうりゅうじじょう
  • 築城:延元4年/暦応2年(1339年)
  • 廃城:慶安2年(1649年)
  • 築城主:細川頼春?
  • 構造:平城・梯郭式
  • 主な城主:岩成友通細川藤孝など
  • 延元4年/暦応2年(1339年)、細川頼春(細川藤孝の祖)により築城されたと言われるが信ぴょう性は低い。
  • 永禄9年(1566年)、三好三人衆のひとり岩成友通(いわなり・ともみち)に攻められ落城した。
  • 永禄11年(1568年)、織田信長足利義昭を奉じて上洛、三好勢力下にあった摂津の諸城を攻撃した。その際に勝竜寺城も攻撃を受け落城した(勝竜寺城の戦い)
  • 元亀2年(1571年)、幕臣の細川藤孝が西岡(京都の西側)に領地をもらい入城した。この後、勝龍寺城が織田氏の京都支配の拠点となる。
  • 天正6年(1578年)、明智光秀の娘・お玉(後のガラシャ夫人)藤孝の嫡男・細川忠興(ほそかわ・ただおき)に輿入れし、勝龍寺城で生活を送った。
  • 天正10年(1582年)、明智光秀が「本能寺の変」を起こした直後、光秀の属城となる。
  • 天正10年(1582年)、羽柴秀吉が京都に攻め上り勝龍寺城のすぐ南の山崎において明智光秀と戦闘山崎の合戦。この戦いにおいて光秀は勝龍寺城を後方基地とした。
    「山崎の戦い」で敗北した光秀は、一旦は勝龍寺城に帰城したものの、この城では籠城戦を戦えないと判断し、城を抜け出して居城の坂本城を目指した。しかし、このあと光秀は落ち武者狩りによって命を落とすこととなった。
    これ以後しばらくの間、勝龍寺城は廃城状態であったと思われる。
  • 寛永10年(1633年)、旗本の永井直清が入府し、山城長岡藩が立藩。直清は勝龍寺城の改修を試みるも水はけの悪さから断念し、北側に新たな本丸を設けた。
  • 慶安2年(1649年)、廃城
  • 「山崎の合戦」前後の出来事
    6月2日 本能寺の変
    6月6日 羽柴秀吉が備中高松城より引き上げ(中国大返し)(日付は諸説あり)
    6月13日 山崎の合戦
    6月13日 明智光秀が戦いに敗れ勝龍寺城へ帰城
    6月13日 明智光秀が坂本城へ逃げる途中で絶命
    6月14日 坂本城落城
    6月15日 安土城本丸焼失
    6月27日 清須会議

見どころ・おすすめ

  • 土塁や空堀がかなりはっきりとした状態で残っている。土塁構造をタイルで示したり案内板なども設置されているので結構楽しめる。
  • この場所のすぐ南側には勝龍寺城跡がある。堀や模擬櫓などが復元された公園として整備されている。
  • 勝龍寺城だけに気をとられているとこの土塁は見過ごされてしまいがちだが、勝龍寺城に行った後にでも寄ってみるといい。

施設データ

地図
住所:京都府長岡京市東神足

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主な施設
土塁・空堀
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・JR「長岡京」駅から約0.5Km
・阪急電車「長岡天神」駅から約1.5Km

【バス】
・阪急バス「勝竜寺城公園前」「JR長岡京東口」バス停
・京都市バス「JR長岡京東口」バス停

【マイカー】
・名神高速道路「大山崎IC」から約2Km

コメント

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