大阪にある江戸時代の下水道跡。
歴史・概略
- 戦国時代末期に豊臣秀吉が行った大阪城築城の際、合わせて行われた町づくりの一環として整備された下水溝のひとつと考えられ、下水溝の一部は現在も現役として使用されている。
- 道路・建物・下水溝・建物・道路のように、建物の裏口が合わさるところに下水溝が作られたことから、「背割下水」または太閤秀吉によって整備されたことから「太閤下水」とも呼ばれる。
- ただし、この下水が造られたのは土の層などから、豊臣期ではなく江戸時代であると考えられている。
史跡情報
地図 |
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【場所】 大阪府大阪市中央区農人橋 【付近の史跡】
[ 東・約0.6km ] 法円坂遺跡・前期難波宮内裏西方官衙
[ 東・約0.8km ] 難波宮跡公園
[ 東・約0.8km ] 前期難波宮朝堂院南門跡
[ 東・約1km ] 難波宮内裏東方遺跡
[ 北東・約1km ] 東町奉行所跡(大塩平八郎ゆかりの地)
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主な施設 |
見学施設・案内板 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「谷町四丁目」駅から約0.4Km |