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尊良親王墓

尊良親王墓 京都
尊良親王墓

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての皇族・尊良親王の墓。

歴史・概略

  • 尊良親王(たかよししんのう・たかながしんのう)は両統迭立の時代、大覚寺統の後醍醐天皇の皇子として生まれた。出生日不明。異説もあるが第一皇子とされている。
  • 元弘の乱では鎌倉幕府倒幕のため父の後醍醐天皇とともに戦って幕府により土佐国へと配流された。その後、土佐を脱出した親王は九州に渡り幕府の行政機関である鎮西探題攻略の旗頭となって倒幕に貢献した。
  • 建武2年(1336年)、延元の乱(建武の乱)が勃発し後醍醐天皇による建武政権が崩壊すると、尊良親王は足利軍から逃れて恒良親王や新田義貞脇屋義助らとともに北陸の金ヶ崎城に入城、後醍醐天皇は大和国の吉野に脱出し南朝を開いた。
  • 延元2年/建武4年(1337年)、足利尊氏が派遣した高師泰や斯波高経らに金ヶ崎城を攻め立てられ尊良親王は義貞の子・新田義顕ら城兵数百人とともに自刃した。

見どころ・おすすめ

  • ここだけを目的に行く人はまずいないと思うので南禅寺や永観堂など東山散策のついでにでも行かれたらいかがかと。

施設データ

地図
住所:京都府京都市左京区南禅寺下河原町
尊良親王墓

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主な施設
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・地下鉄「蹴上」駅から約0.9Km

【バス】
・市バス「南禅寺・永観堂道」「東天王町」バス停

【マイカー】
・名神高速「京都南IC」から約10Km

コメント

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