建武政権を離脱した足利軍と、後醍醐天皇の命を受けた新田軍の合戦の地。「延元の乱」で行われた合戦のひとつ。
歴史・概略
- 「延元の乱(えんげんのらん)」とは、足利尊氏(あしかが・たかうじ)が後醍醐天皇を中心とした政権「建武の新政(けんむのしんせい)」から離脱し、尊氏が幕府を樹立するまでの戦いの総称。ほかに「建武の乱(けんむのらん)」ともいう。
- 建武2年(1335年)、後醍醐天皇は武家政権の動きを見せる足利尊氏に対し追討を決意、新田義貞(にった・よしさだ)率いる天皇軍と、尊氏の弟・足利直義(あしかが・ただよし)率いる足利軍が三河国矢作川にて激突した。
この戦闘で足利軍は敗北し退却、さらに東へと進んだ遠江国手越河原(てごしがわら)で再び激突することとなった。 - 戦闘は正午から午後8時頃まで17回に渡ったとされ、足利軍の敗北に終わった。このとき尊氏と協力関係にあった近江の佐々木道誉が新田軍に下った(ただし、この後の「箱根・竹ノ下の戦い」で再び足利軍に下っている)。
- 「延元の乱」のおもな出来事
建武2年11月 矢作川の戦い/12月 鷺坂の戦い/12月 手越河原の戦い/12月 箱根・竹ノ下の戦い/建武3年1月 京都攻防戦/2月 豊島河原の戦い/3月 多々良浜の戦い/5月 湊川の戦い/6月 京都攻防戦
史跡情報
地図 |
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【場所】 静岡県静岡市駿河区みずほ 【付近の史跡】
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
常時 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「安倍川」駅から約0.4Km 【バス】 ・しずてつジャストライン「安倍川駅」「みずほ三丁目」バス停 【マイカー】 ・東名高速道路「静岡IC」から約4Km |