江戸時代、土佐藩が京都伏見に置いた藩邸跡。
歴史・概略
- 伏見の町は豊臣秀吉の伏見城築城によって城下町が形成されて以降、京都の中心部と大阪とを結ぶ物流の要衝として栄えてきた。そのため、土佐藩だけでなく、多くの藩がここに藩邸を置いて拠点としていた。
- 慶応4年1月3日 ~ 6日(1868年1月27日 ~ 30日)、「鳥羽伏見の戦い」が薩長勢力と旧幕府勢力との間で起こる。
土佐藩は藩主・山内容堂の意向もあり、旧幕府軍との武力対立には決して積極的ではなかったが、土佐藩の乾退助(板垣退助)の独断によって土佐藩兵を薩長に合流させ、旧幕府軍を撤退に追い込んだ。
見どころ・おすすめ
- 伏見周辺は「鳥羽伏見の戦い」に関連する史跡が数多くあるので、まとめて回るといい。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市伏見区南浜町 【付近の史跡】
[ 北東・約0.1km ] 「鳥羽・伏見の戦い」会津藩駐屯地跡(伏見御堂)
[ 西・約0.2km ] 寺田屋
[ 西・約0.2km ] 伏見口の戦い激戦地跡
[ 西・約0.3km ] 電気鉄道事業発祥の地(下油掛停車場跡)
[ 西・約0.3km ] 伏見長州藩邸跡
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・京阪電車「伏見桃山」駅から約0.4Km ・近鉄電車「桃山御陵」駅から約0.6Km ・JR「桃山」駅から約1Km 【バス】 ・市バス「京橋」バス停 ・京阪バス「京橋」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都南IC」から約4Km |