鳥取県鳥取市にある城。羽柴秀吉の中国攻めにおいて、籠城戦を展開し多くの餓死者を出したことで知られる。
歴史・概略
- 築城:天文年間(1532年 ~ 1555年)
- 廃城:明治4年(1871年)
- 築城主:但馬山名氏?
- 構造:梯郭式・平山城・山城
- 主な城主:山名氏・吉川氏・宮部氏・池田氏
- 日本100名城
- 戦国時代の中期、因幡守護であった山名氏によって築城されたとされる。
- 天正8年(1580年)、天下を狙う織田信長の命を受けた秀吉が、山名豊国が守る鳥取城を包囲、約3か月間の籠城の末に豊国は降伏した。
- しかし、すぐに毛利氏の手に落ち、今度は吉川経家との間で再び籠城戦となった。このときの戦いは「渇え殺し(かつえごろし)」と呼ばれ、飢えに苦しんだ人たちが人肉を食べるほど凄惨を極めたという。
- 天正10年(1582年)、宮部継潤(みやべ・けいじゅん)が城代となり、後に城主となった。
- 慶長5年(1600年)、「関ケ原の戦い」において西軍に与したため、東軍の攻撃を受け開城。
- 慶長5年(1600年)、池田長吉(池田恒興の三男)が入府。
- 元和3年(1617年)、池田光政が入府。
- 寛永9年(1632年)、池田光仲が入府。以降、明治に至るまで池田氏(忠雄流)が藩主を務めた。
史跡情報
地図 |
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【場所】 鳥取県鳥取市東町 |
主な施設 |
山上の丸跡・天球丸跡・二の丸跡・三の丸跡・山下の丸跡 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「鳥取」駅 【バス】 ・鳥取市コミュニティ「鳥取城跡」「仁風閣・県立博物館」バス停 【マイカー】 ・駐車場あり |