土御門第跡(京都御苑・藤原道長邸) | 場所と地図 – 歴史のあと

土御門第跡(京都御苑・藤原道長邸)

土御門第跡 京跡・宮跡
土御門第跡
ジャンル:京跡・宮跡/邸宅・住居跡
史跡年代:平安時代

平安時代の中期、権力の座に上り詰め栄華を極めた藤原道長の邸宅跡。

歴史・概略

  • 藤原道長(ふじわら・みちなが)は、平安時代中期の摂政(後一条天皇)・太政大臣。摂政・藤原兼家の五男であり、摂政・関白は兄たちが継承していったため、本来ならば権力の座につく立場にはなかった。しかし、その兄たちが相次いで亡くなったことにより権力争いが勃発、道長はこの争いを制して藤原氏の長者となった。
  • 土御門第(つちみかどだい・つちみかどてい)はもともと宇多天皇を祖とする源雅信の屋敷で、後に雅信の娘・倫子道長が結婚、雅信が亡くなったあと屋敷を継承したとみられる。
  • 土御門第の名は土御門大路に面していたことに由来し、この道が大内裏の上東門から伸びる道であったことから上東門殿とも呼ばれた。道長の娘・藤原彰子(ふじわら・しょうし)が後に上東門院と呼ばれたのもこの屋敷に起因している。
  • 道長は娘の彰子一条天皇の中宮とし、後の後一条天皇後朱雀天皇をこの邸内で出産している。また後朱雀天皇東宮妃となった道長の娘・嬉子も、後の後冷泉天皇をここで産んでいる。
  • さらに道長の晩年には、邸の東側に鴨川にかけて広大な規模を持つ法成寺(ほうじょうじ)を建立するなどし、藤原氏としての最盛期を過ごした。建物は火災によって焼失、再建を度々繰り返したが、やがて時代とともに藤原氏の権力も陰りを見せ、土御門第も法成寺も次第に廃れていった。

見どころ・おすすめ

  • かつて存在していた宮家や公家屋敷の多くは、一部を残してほとんどが撤去されており、今は一年中草花が楽しめる公園として整備されている。
  • 京都御苑内は平安時代から幕末に至る屋敷跡が点在し、いたるところに説明書きの駒札が立てられているので、それを巡るだけでもかなり楽しめる。

史跡情報

地図
【場所】
京都府京都市上京区京都御苑
主な施設
案内板のみ
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・地下鉄「今出川」「丸太町」駅
・京阪「出町柳」「神宮丸太町」駅

【バス】
・市バス「府立医大病院前」「荒神口」駅

【マイカー】
・名神高速「京都南IC」から約9Km
・駐車場あり
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