長野県上田市にあった城。信濃国上田藩の藩庁。
歴史・概略
天正11年(1583年)、かつて甲斐武田氏に仕えていた真田昌幸によって築城。何倍もの兵力で攻撃を仕掛けてきた徳川軍を2度に渡って退けた城として知られる。
武田氏の滅亡、織田信長の死去により信濃・甲斐・関東の一帯が混乱する中、昌幸は徳川家康と手を結ぶ。しかし家康は安堵したはずの真田領を勝手に北条領としてしまったことで、第一次上田合戦が起こる。徳川軍は城を守る数倍の兵力を動員するが、昌幸の巧みな作戦によってこれを翻弄、徳川軍は兵を引いた。
さらに「関ケ原の戦い」の際には、西軍に与する真田昌幸・真田幸村(信繁)親子が西へ向かう徳川秀忠率いる徳川本隊を足止めした。これにより徳川本隊は「関ケ原の戦い」に遅参、戦後の勢力図に大きな影響を与えた。
- 築城:天正11年(1583年)
- 廃城:明治7年(1874年)
- 築城主:真田昌幸
- 構造:梯郭式・平城
- 主な城主:真田氏・仙石氏・藤井松平氏
- 日本100名城
- 天正11年(1583年)、真田昌幸により築城
- 天正13年(1585年)、第一次上田合戦
- 慶長5年(1600年)、第二次上田合戦
- 慶長6年(1601年)、上田城破却
- 元和8年(1622年)、真田氏が松代へ移封
- 寛永3年(1626年)、藩主仙石忠政によって上田城再建開始
- 寛永5年(1628年)、忠政が没したため再建中止
- 明治7年(1874年)、廃城
見どころ・おすすめ
- 東虎口櫓門-復元された櫓と門。上田城の玄関口。
- 真田石-東虎口櫓門脇の石垣。真田信之が領地替えの際、形見に持っていこうとしたとか。
- 西櫓-江戸時代の現存櫓。
- 上田市立博物館-真田氏をはじめとした歴代城主に関する展示館。
史跡情報
地図 |
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【場所】
長野県上田市二の丸 |
主な施設 |
東虎口櫓門・上田市立博物館・真田神社 |
利用時間 |
常時 【博物館】 8:30 ~ 17:00 |
定休日 |
【博物館】 8月~10月除く水曜日・祝日の翌日、および年末年始 【上田城櫓】 12月~3月休館 |
料金 |
公園は無料 【博物館・上田城櫓共通】 一般250円 高校生180円 小中学生60円 |
交通 |
【電車】 ・JR「上田」駅から約1Km ・上田電鉄「上田」駅から約1Km 【バス】 ・上田バス「お城下」バス停 ・上田氏コミュニティバス「お城下」「公園体育館前」「公園北」バス停 ・千曲バス「城跡公園南」バス停 【マイカー】 ・上信越自動車道「上田菅平IC」から約4Km ・駐車場あり |