京都府宇治市にある平安時代に造られた墳墓のひとつ。平安時代中期、権力の頂点を極めた藤原道長の墓とする説がある。
歴史・概略
- 宇治陵(うじりょう・うじのみささぎ)は宇治市木幡(うじしこはた)付近に古墳時代以降造られた300以上点在している古墳・陵墓の総称。平安時代には藤原北家一族の埋葬地となっていたことから、当主だけでなく一族から入内した天皇の妃などが眠っている。ただ藤原氏の衰えとともに墓は荒廃、放置され、陵墓それぞれの被葬者は不明となったまま現在に至っている。
- 藤原道長(ふじわらみちなが)は平安時代中期の公卿。康保3年 – 万寿4年(966年 – 1028年)。
一族間の争いを制し権力の座に就いた人物。源氏物語の作者紫式部を見出したことでも知られ、作中の光源氏のモデルであるともいわれる。 - 32号墳の被葬者を道長であるとするのはあくまで説のひとつであり、確定はしていない。道長の子・藤原頼通が浄妙寺の南大門から道長の墓に参ったとの記述が残されており、その後発見された浄妙寺跡の位置関係からそのように推定されている。
見どころ・おすすめ
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府宇治市木幡檜尾 【付近の史跡】 [ 北西・約0.4km ] 藤原道長建立浄妙寺跡 [ 西・約0.5km ] 宇治陵36号墳(藤原基経の墓) [ 南西・約0.5km ] 宇治陵 [ 北・約0.7km ] 宇治陵34号墳(赤塚・伝 藤原冬嗣夫妻墓所) [ 北・約0.8km ] 宇治陵35号墳(藤原時平の墓) |
主な施設 |
墳墓 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「木幡」駅から約0.6Km ・京阪電車「木幡」駅から約0.8Km 【バス】 ・京都京阪バス「金草原」「木幡小学校」バス停 【マイカー】 ・京滋バイパス「宇治東IC」から約3Km |