京都府宇治市にある平安時代の墳墓。平安時代前期に権力を握った藤原時平の墓とされる。
歴史・概略
- 宇治陵(うじりょう・うんじのみささぎ)とはひとつの墳墓のことではなく、宇治市木幡(うじしこはた)に点在している300余りの墳墓をまとめて指すものである。
- 平安時代には藤原氏の埋葬地となったため、平安時代初期から後期にかけて当主だけでなく一族から入内した天皇の妃などが葬られた。ただ平安時代の終わりには埋葬地として使われなくなった上、権力の衰えによって陵墓は荒廃。そして長い年月が経過したことで、いまはどこにだれが眠っているのか分からなくなった。ただ不明ながらもこれらの陵墓は天皇家に繋がるものとして、現在は37個所が指定され宮内庁の管理下に置かれている。
- 藤原時平(ふじわらときひら)は平安時代前期の公卿。藤原北家。貞観13年-延喜9年(871年-909年)。藤原基経の長男として権力を引き継ぎ、摂政・関白・太政大臣に就任。
なかでも菅原道真を追い落とした人物として知られ、若くして亡くなった後は道真の祟りとして恐れられた。そして天神信仰が深まるにつれて大悪人として描かれるようになっていったのだとか。 - 35号墳は時平塚と呼ばれ、藤原時平の墓とされている。被葬者不明の宇治陵の中にあって唯一人名と思しき名称がつけられている陵墓である。
見どころ・おすすめ
- 陵墓の入口は東側にある。住宅街の中なので気をつけていないと見落とすと思う。
- 周辺は宇治陵が点在しており、藤原道長が藤原氏の菩提を弔うため建立したという浄妙寺跡碑も近い。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府宇治市木幡 【付近の史跡】
[ 南東・約0.3km ] 宇治陵34号墳(赤塚・伝 藤原冬嗣夫妻墓所)
[ 南・約0.4km ] 藤原道長建立浄妙寺跡
[ 南・約0.8km ] 宇治陵32号墳(藤原道長の墓)
[ 南西・約0.8km ] 宇治陵36号墳(藤原基経の墓)
[ 南・約1.2km ] 宇治陵
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主な施設 |
墳墓 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「六地蔵」駅から約0.6Km ・地下鉄「六地蔵」駅から約0.7Km ・京阪電車「六地蔵」駅から約1Km 【バス】 ・京都京阪バス「御園」「畑町」「町並」バス停 ・京阪バス「畑町」「町並」バス停 【マイカー】 ・京滋バイパス「宇治東IC」から約4Km ・名神高速「京都東IC」から約6Km |