山形県山形市にあった城。東北の戦国武将・最上義光の居城として知られる。
歴史・概略
南北朝の1357年、南北朝時代の武将・斯波兼頼によって築城されたことに始まる。以後最上氏を名乗り、山形城は最上氏の居城となった。
- 築城:正平11年/延文元年(1356年)
- 廃城:明治4年(1871年)
- 築城主:斯波兼頼
- 構造:輪郭式・平城
- 主な城主:最上氏・鳥居氏・保科氏・堀田氏・秋元氏
- 日本100名城
- 「関ケ原の戦い」が起こった際、城主の最上義光(もがみ・よしあき)は徳川家康側に付き東北の地で上杉勢と交戦、その功績によって大幅に加増され大大名となった。
また、この時の戦いで上杉の直江兼続が山形に兵を進めたとき、山形城一帯が霞によって全く所在がつかめなかったことから霞城と呼ばれるようになった。 - 元和8年(1622年)、鳥居忠政が入府。
- 寛永13年(1636年)、保科正之が入府。
- 正保元年(1644年)、松平直基(越前松平家)が入府。
- 慶安元年(1648年)、松平忠弘(奥平松平家)が入府。
- 寛文8年(1668年)、奥平昌能が入府。
- 貞享2年(1685年)、堀田正仲が入府。
- 貞享3年(1686年)、松平直矩(越前松平家)が入府。
- 元禄5年(1692年)、松平忠弘(奥平松平家)が入府。
- 元禄13年(1700年)、堀田正虎が入府。
- 延享3年(1746年)、松平乗佑(大給松平家)が入府。
- 明和4年(1767年)、秋元凉朝が入府。
- 弘化2年(1845年)、水野忠精が入府。
史跡情報
地図 |
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【場所】 山形県山形市霞城町 【付近の史跡】
[ 南西・約7km ] 長谷堂城跡
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主な施設 |
本丸一文字門・二ノ丸東大手門・山形市郷土館・山形県立博物館 |
利用時間 |
4月~11月 5:00 ~ 22:00 12月~3月 5:30 ~ 22:00 【山形県立博物館・山形市郷土館】 9:00 ~ 16:30 |
定休日 |
【山形県立博物館】 月曜日(祝日の場合翌日)・年末年始 【山形市郷土館】 年末年始 |
料金 |
【山形県立博物館】 成年300円・学生150円 |
交通 |
【電車】 ・JR「山形」駅から約0.7km 【マイカー】 ・東北中央自動車道「山形中央IC」から約3Km ・駐車場あり |