愛媛県松山市にあった城。
室町時代頃から安土桃山時代にかけての城で湯月城とも呼ばれる。
歴史・概略
- 建武2年(1335年)頃、伊予国の守護であった河野氏によって築城された。
- 天文4年(1535年)頃、河野通直により外堀が整備される。
- 天正13年(1585年)、豊臣秀吉が行った四国征伐により小早川隆景らが伊予に侵攻。河野氏は籠城の後に降伏、これにより「治承・寿永の乱(源平合戦)」のころより約400年に渡り続いた河野氏による支配が終わった。この後、城は隆景に与えられた。
- 天正15年(1587年)、伊予に入った福島正則が国分山城に移り湯築城は廃城となった。
- 築城:建武2年(1335年)頃
- 廃城:天正15年(1587年)
- 築城主:河野氏
- 構造:平山城・梯郭式
- 主な城主:河野氏、小早川隆景、福島正則
- 日本100名城
史跡情報
地図 |
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【場所】 愛媛県松山市道後公園 【付近の史跡】
[ 西・約1.9km ] 松山城
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主な施設 |
土塁・水堀・郭・湯築城資料館・武家屋敷 |
利用時間 |
【湯築城資料館・武家屋敷】 9:00~17:00 |
定休日 |
【湯築城資料館・武家屋敷】 月曜日(祝祭日の場合、翌平日)・年末年始 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「松山」駅 ・伊予鉄道「道後公園」駅 【マイカー】 ・松山自動車道「松山IC」から約7Km ・駐車場あり |