淳和天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Fri, 10 Mar 2023 13:25:05 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 淳和天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 淳和院跡 https://rekishidou.com/junnain/ https://rekishidou.com/junnain/#respond Mon, 18 Apr 2016 02:36:03 +0000 http://rekishidou.com/?p=2011 平安時代初期に在位した淳和天皇(じゅんなてんのう)の離宮跡。

歴史・概略

  • 淳和院(じゅんないん)が作られた時期はわかっていないが天皇が即位する前より使われており、当時は南地院と呼ばれていた。その後天皇が即位した後に離宮となった。
  • 天長10年(833年)、甥(嵯峨天皇の皇子)である正良親王(仁明天皇への譲位がここで宣言され、譲位に合わせて淳和院と改められた。退位後はここに移り住み、7年後の承和7年(840年)に崩御した。
    その際、淳和院より淳和天皇の追号がとられた。また、淳和院は別名西院とも呼ばれたため、このあたりが西院(さいいん)と呼ばれるとともに、淳和天皇西院帝(さいいんのみかど)とも称されることとなった。
  • 東西に約230メートル、南北に約250メートルの広さであったといわれ、現在石碑の立つ高山寺は淳和院の丁度東南の角にあたる。
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  • その後、淳和院は寺院に改められるが応仁の乱の頃に廃絶したと考えられている。

見どころ・おすすめ

  • 石碑西側にあるジョーシン脇には淳和院跡の案内板がある。そこからさらに北に行ったところにある春日神社には、淳和院礎石が残されている。
  • また、少し東に行くと同時代に使われた御所跡・朱雀院跡があるのでそちらも合わせてどうぞ。

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