楠木正行 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Wed, 08 Mar 2023 04:20:02 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 楠木正行 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 史跡櫻井駅跡 https://rekishidou.com/sakuraieki/ https://rekishidou.com/sakuraieki/#respond Fri, 26 Feb 2016 02:01:43 +0000 http://rekishidou.com/?p=1922 京都と西国を結ぶ西国街道に設置された駅跡。

歴史・概略

  • 駅(うまや)とは、「大化の改新」以降に幹線道路上に馬などを配置した場所のことで、約30里(およそ16Km)ごとに置かれた。続日本紀に記された「摂津国嶋上郡大原駅(せっつのくに しまがみのこおり おおはらのうまや)」が櫻井駅(さくらいのえき)を指すものとされている。
  • 建武2年11月(1336年1月)足利尊氏(あしかが・たかうじ)が建武政権を離脱したことを受け、「延元の乱」が勃発した。その後、南朝方が足利軍に勝利、しかし延元元年/建武3年5月(1336年6月)、九州で再起した足利軍が再び都に向け東進してきた。
    この足利軍を迎え討つため、西へと向かった南朝方の楠木正成(くすのき・まさしげ)は、ここ櫻井駅で嫡男の楠木正行(くすのき・まさつら)と別れたと太平記に記されている(「桜井の別れ」)。
    その後、正成は「湊川の戦い」で足利軍に敗れ討死、正行は後に南朝方の武将として活躍し北朝に対して兵を起こした。
  • 楠公父子子別れの石像

    公園内にある「楠公父子子別れの石像」(大阪府三島郡島本町)

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