国府・郡衙 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Sat, 18 Mar 2023 22:50:16 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 国府・郡衙 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 多賀城跡 https://rekishidou.com/tagajo/ https://rekishidou.com/tagajo/#comments Tue, 16 May 2017 02:54:43 +0000 http://rekishidou.com/?p=4264 宮城県多賀城市にあった古代城柵跡。

歴史・概略

  • 神亀元年(724年)、大野東人(おおののあずまびと)により築城。陸奥国府や鎮守府が置かれ奈良時代から平安時代にかけて政治や軍事の中心となった。
    「伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)の乱」や貞観の大地震などにより焼失・倒壊を繰り返しその度に再建され、坂上田村麻呂の蝦夷征討の際や「前九年の役」、「後三年の役」の際にも軍事的拠点として機能した。
  • この場所は多賀城の中心にあたり政庁跡が確認されている。
  • 築城:神亀元年(724年)
  • 廃城:不明
  • 築城主:大野東人
  • 構造:古代城柵
  • 主な城主:
  • 日本100名城
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伊勢国府跡(長者屋敷遺跡) https://rekishidou.com/isekokufu/ https://rekishidou.com/isekokufu/#respond Tue, 06 Mar 2018 01:29:03 +0000 http://rekishidou.com/?p=5859 三重県鈴鹿市にあった古代の伊勢国国府跡。

歴史・概略

  • 国府(こくふ・こう)とは律令制の時代(奈良時代から平安時代頃)に国の政庁が置かれた都市のことで、時代によっても変わるが日本全国で約66国に区分された。
    この政庁のことを国庁(こくちょう)または国衙(こくが)という。
  • この場所は古くから古代の瓦などが出土しており、その後の発掘調査により奈良時代の伊勢国府跡であるとして国の史跡に指定された。
  • 東西2つの区画のうちの東側にあたる場所で政庁跡と考えられている。正面に正殿、その北側に後殿、その両脇に脇殿といった建物群と、それらを囲む南北約110メートル、東西約80メートルの築地塀があったことが分かっている。
  • この場所の北側2か所にも建物群の跡が確認されている。

見どころ・おすすめ

  • いちおうこんもりとした部分が基壇跡として残ってはいるが、あまり目で見て分かるものはない。
  • ここから東に約10Km行くと同時代聖武天皇によって全国に作られた伊勢国分寺跡がある。

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嶋上郡衙跡 https://rekishidou.com/shimagamigunga/ https://rekishidou.com/shimagamigunga/#respond Fri, 09 Feb 2018 01:03:46 +0000 http://rekishidou.com/?p=5828 大阪府高槻市にあった古代の郡衙跡。

歴史・概略

  • 嶋上郡衙(しまがみぐんが)は摂津国島上郡に置かれた郡衙跡で、郡衙とは郡を統括する役所のことである。
    東側には淀川に繋がる芥川(あくたがわ)、南側には東西を結ぶ幹線道路であった山陽道が通っており、ここにはこの地域を統括する行政施設が置かれていた。7世紀から8世紀にかけて整備され、弁天山古墳に葬られた王の子孫・三島県主(みしまのあがたぬし)の一族が、郡司を務めたと考えられる。
  • 中心部には役所や倉庫群、寺院などが置かれ、周辺には村が広がるなどしていたが、律令制の崩壊とともに次第に埋もれていった。
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