大塩平八郎 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Sun, 19 Mar 2023 09:25:49 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 大塩平八郎 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 大塩平八郎終焉の地 https://rekishidou.com/heihachirosyuen/ https://rekishidou.com/heihachirosyuen/#respond Wed, 06 Mar 2019 01:42:07 +0000 http://rekishidou.com/?p=3328 「大塩平八郎の乱」を起こした大塩平八郎が潜伏の末に終焉を迎えた地。

歴史・概略

  • 大塩平八郎(おおしお・へいはちろう)は、寛政5年(1793年)、代々大坂東町奉行組与力を務める大塩家に生まれた。平八郎が与力の頃には同僚の汚職を暴くなどし、市民からの尊敬を集めていたと言われる。
  • この頃、天保の大飢饉による影響が各地に広がり、大阪でも深刻な米不足に陥った。平八郎は奉行所に庶民の救済を訴えたが、奉行所はこれを無視した。さらに商家では買い占めを行うなどの状況に平八郎の怒りが爆発、天保8年2月19日(1837年3月25日)武装蜂起をするに至った。
  • 乱は密告により鎮圧され、平八郎は靱油掛町の商家美吉屋五郎兵衛宅に潜伏、乱のおよそ1月後に役人に取り囲まれ自決した。
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東町奉行所跡(大塩平八郎ゆかりの地) https://rekishidou.com/bugyosyo/ https://rekishidou.com/bugyosyo/#respond Thu, 07 Mar 2019 01:05:53 +0000 http://rekishidou.com/?p=6918 江戸幕府が大阪に置いた奉行所跡。

歴史・概略

  • 大阪町奉行所は幕府直轄地である大阪に江戸幕府が設置した奉行所である。
    元和5年(1619年)、大阪城の西側に東町奉行所と西町奉行所が並んで建てられ、領内の訴訟や監督、年貢の徴収などさまざまな業務を行った。
  • 享保9年(1724年)、大火により東西両奉行所が焼失、その後両奉行所は再建された。しかし、ともに焼失してしまった経験から、西町奉行所は別の場所へと移転された。
  • 天保8年(1837年)、「大塩平八郎の乱」を起こした大塩平八郎は大阪東町奉行の元与力である。

見どころ・おすすめ

  • 石碑が立てられているのみで特に何も残っていない。
  • すぐ東側に大阪城、西側には西町奉行所跡がある。
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