大塩平八郎終焉の地 | 場所と地図 – 歴史のあと

大塩平八郎終焉の地

大塩平八郎終焉の地碑 事件
大塩平八郎終焉の地碑
ジャンル:邸宅・住居跡/事件
史跡年代:江戸時代
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「大塩平八郎の乱」を起こした大塩平八郎が潜伏の末に終焉を迎えた地。

歴史・概略

  • 大塩平八郎(おおしお・へいはちろう)は、寛政5年(1793年)、代々大坂東町奉行組与力を務める大塩家に生まれた。平八郎が与力の頃には同僚の汚職を暴くなどし、市民からの尊敬を集めていたと言われる。
  • この頃、天保の大飢饉による影響が各地に広がり、大阪でも深刻な米不足に陥った。平八郎は奉行所に庶民の救済を訴えたが、奉行所はこれを無視した。さらに商家では買い占めを行うなどの状況に平八郎の怒りが爆発、天保8年2月19日(1837年3月25日)武装蜂起をするに至った。
  • 乱は密告により鎮圧され、平八郎は靱油掛町の商家美吉屋五郎兵衛宅に潜伏、乱のおよそ1月後に役人に取り囲まれ自決した。

史跡情報

地図
【場所】
大阪府大阪市西区靱本町
【付近の史跡】
[ 北西・約0.6km ] 大村益次郎先生寓地址
[ 北西・約0.7km ] 薩摩藩蔵屋敷跡(大坂)
[ 北西・約1.1km ] 高松藩大坂蔵屋敷跡
[ 北東・約1.1km ] 適塾(緒方洪庵旧宅)
主な施設
石碑のみ
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・大阪地下鉄「本町」駅から約0.2Km

【バス】
・大阪シティバス「靱本町一丁目」「信濃橋」バス停
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