茶屋四郎次郎 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Tue, 21 Mar 2023 01:23:41 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 茶屋四郎次郎 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 茶屋四郎次郎屋敷跡 https://rekishidou.com/tyayatei/ https://rekishidou.com/tyayatei/#respond Sat, 22 Feb 2020 01:28:31 +0000 https://rekishidou.com/?p=9689 江戸時代の京都の豪商・茶屋四郎次郎の屋敷跡。

歴史・概略

  • 茶屋家は、朱印船貿易や大堰川や高瀬川の舟運を行った角倉家、大判の鋳造を行った後藤四郎兵衛家とともに「京の三長者」のひとつに数えられ、当主は代々茶屋四郎次郎(ちゃや・しろうじろう)を名乗った。
  • 室町時代後期、中島明延が武士をやめ、京で呉服商を開いたことが始まりとされる。茶屋の屋号は、将軍足利義輝が屋敷によく茶を飲みに立ち寄ったことに因んで付けられたという。
  • その後、明延の子・清延徳川家康に近づき、呉服御用を引き受け商人としての地盤を作った。この清延が茶屋初代とされる。さらに三代清次の代には朱印船貿易の権利を得て、巨万の富を築いた。
  • この屋敷は清延の三男・新四郎長吉(尾張藩で尾張茶屋家を創設、藩の御用商人となった人物)が受け継いだ。
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茶屋四郎次郎邸址 https://rekishidou.com/cyayatei/ https://rekishidou.com/cyayatei/#respond Mon, 14 Oct 2019 11:02:54 +0000 http://rekishidou.com/?p=3278 京都の豪商・茶屋四郎次郎の屋敷跡。

歴史・概略

  • 朱印船貿易や大堰川、高瀬川の舟運を行った角倉家、大判の鋳造を行った後藤四郎兵衛家などとともに「京の三長者」の一角をなし、当主は代々茶屋四郎次郎(ちゃや・しろうじろう)を名乗った。
  • 初代清延は「本能寺の変」の際、大阪にいた徳川家康にいち早く報せをやり大阪脱出を助け、徳川家の呉服御用を引き受けるなどした。三代の清次は朱印船貿易などで巨万の富を得ているが、後の鎖国政策により特権は失われた。
  • 元は蛸薬師に屋敷を構えていたが、宝永5年(1708年)の大火によりこの地に居を移している。
  • 石碑南側の茶屋町の地名は、この屋敷によるものである。
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