天正10年6月2日(1582年6月21日)
明智光秀が京都本能寺で主君の織田信長を急襲した事件。信長は必死に抵抗するが自害、嫡男の信忠も二条新御所で戦って自害した。そして事件の11日後、光秀は京都山崎において羽柴秀吉に敗れて敗走の途中落命した。光秀がなぜ事件を起こすことになったのかについては様々な意見がありいまだ議論が止まない。
本能寺跡(織田信長最後の地)
事件京都古戦場安土桃山時代室町時代寺社
天正10年6月(1582年)、京都本能寺にいた織田信長を配下である明智光秀が急襲したいわゆる「本能寺の変」が起こった。ここは事件が発生した当夜に本能寺が建ってい...
二条殿跡「本能寺の変」戦地
事件京跡・宮跡京都古戦場安土桃山時代邸宅・住居跡
「本能寺の変」において、織田信長の嫡男・織田信忠が明智光秀の軍勢と戦い討死した場所。
歴史・概略
天正5年(1577年)、信長が当時公家の二条邸だった場所...
二条殿御池跡
事件京都古戦場安土桃山時代室町時代平安時代邸宅・住居跡鎌倉時代
京都にあった皇族や公家の邸宅跡。安土桃山時代には織田信長の屋敷としても使われ、「本能寺の変」の戦闘が起こった場所でもある。
歴史・概略
この場所は、平安時...
亀山城跡
京都城跡安土桃山時代幕末維新江戸時代
京都府亀岡市にある明智光秀ゆかりの城。
江戸時代の亀山藩の藩庁。亀岡城とも呼ばれる。
歴史・概略
戦国時代、織田信長配下として丹波方面の攻略を任された明智...