太原雪斎 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Tue, 07 Mar 2023 12:30:46 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 太原雪斎 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 小豆坂古戦場 https://rekishidou.com/azukizakakosenjo/ https://rekishidou.com/azukizakakosenjo/#respond Fri, 19 Jan 2018 01:03:15 +0000 http://rekishidou.com/?p=4858 尾張の織田氏と三河の松平氏・今川氏連合軍の間で起こった「小豆坂の戦い」が行われた地。
また、三河一向一揆の際にも戦場となった。

歴史・概略

  • 「小豆坂の戦い(あずきざかのたたかい)」は、戦国時代末期に三河支配を巡って尾張の織田家と駿河・遠江の今川家との間で行われた戦闘。
    三河を統一した松平清康(徳川家康の祖父)の死によって、松平氏は力を弱めた。この三河に対し、隣国である尾張の織田信秀織田信長の父)と、駿河の今川義元が進出、岡崎城近くの小豆坂において衝突した。
  • 戦いは天文11年(1542年)天文17年(1548年)の二度行われ、信秀の跡を継いだ織田信長永禄3年(1560年)に桶狭間で今川義元を討ち取って松平元康(後の徳川家康)が独立するまで、三河の地は今川氏の勢力下となった。
    ただ、この戦いについては資料がほとんどなく不明な点も多い。戦いも二度ではなく一度のみであったとする説もある。
  • 永禄6年(1563年)から永禄7年(1564年)にかけて三河一向一揆が勃発。桶狭間の戦い後の家康独立から間もない不安定な時期であり、家臣団の中にも一揆勢に身を投じるものも多かったため、家康はかなり窮地に追い込まれた。この「三河一向一揆」と「三方ヶ原の戦い」「神君伊賀越え」を合わせて徳川家康の三大危機と呼ばれる。
    石碑のある小豆坂・馬頭原(ばとうがはら)一帯で一揆勢と家康軍が衝突、一揆勢が家康軍に挟み撃ちにされ撤退した。家康がこの戦いに勝利したことで家康有利で講和が進み、一揆は終息に向かうこととなった。
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