永禄3年(1560年)、尾張の織田信長が大軍率いる今川義元を討ち取った、いわゆる「桶狭間の戦い」が起こった地。
歴史・概略
- 駿河、遠江、三河を領する今川軍の兵力は約2万5千。それに対する織田軍の兵力は3千ほどしかなく、およそ10倍の敵を打ち破った歴史上最も有名な戦いのうちの一つである。(兵力については諸説あり)
- 前日に沓掛城まで進んできた義元は、大高城への移動を開始した。途中、「おけはざま山」の陣地で休息しながら丸根砦、鷲津砦陥落の報告を受け気をよくしていた。そして正午ごろ、天気が急変し激しい雷雨となって今川軍は混乱をきたした。
- 一方、丸根砦と鷲津砦が攻撃を受けたことを聞いた信長は、すぐさま居城の清州城を出陣、「おけはざま山」で休息中の今川軍本陣を急襲、義元を討ち取った。
- おもな出来事
<永禄3年>
5月12日 今川義元、駿府を発つ
5月18日 大高城に兵糧を届ける
5月19日 織田信長、熱田神宮で先勝祈願
5月19日 丸根砦、鷲津砦落城
5月19日 桶狭間で今川義元を討ち取る
5月19日 松平元康(徳川家康)、大高城より撤退
6月21日 信長、沓掛城を奪還 - 「桶狭間の戦い」前後のおもな出来事
1551年 信長の父信秀死去
1556年 斎藤道三、義龍に討ち取られる
1560年 桶狭間の戦い
1562年 信長、松平元康(徳川家康)と同盟を結ぶ
1567年 信長、美濃を攻略
見どころ・おすすめ
- 織田信長像・今川義元像-合戦が行われた当時の姿を再現。
- ジオラマ地形-合戦が行われた当時の地形や城、砦などを再現。
- 今川義元の墓-この合戦で討ち取られた義元公の墓。
- 東に坂を上っていくと今川義元が本陣を置いたとされる場所(今川義元本陣跡)があり、石碑が立てられている。
史跡情報
地図 |
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【場所】 愛知県名古屋市緑区桶狭間北 【付近の史跡】
[ 東・約0.1km ] 今川義元本陣跡(桶狭間の戦い)
[ 東・約1km ] 桶狭間古戦場伝説地
[ 北西・約10km ] 熱田神宮
[ 北東・約15km ] 長久手古戦場
[ 北西・約16km ] 名古屋城
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主な施設 |
桶狭間の戦いジオラマ・今川義元の墓 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・名鉄「中京競馬場前」駅から約1.3Km 【バス】 ・市営バス「幕山」バス停 【マイカー】 ・伊勢湾岸自動車道「北崎IC」から約2Km |