北条早雲 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Wed, 15 Mar 2023 06:37:28 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 北条早雲 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 小田原城 https://rekishidou.com/odawarajo/ https://rekishidou.com/odawarajo/#respond Mon, 25 Jan 2016 02:20:02 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=457 神奈川県小田原市にあった城。江戸時代の小田原藩の藩庁。

歴史・概略

戦国時代、相模に進出してきた大森氏によって築城され、その後、後北条氏の祖となる伊勢盛時(北条早雲)によって奪われた。息子の北条氏綱の代になって以後は北条氏の居城となった。

関東の覇権を巡り上杉謙信武田信玄などから相次いで侵攻を受けるが、小田原城の堅固な構えを前にこれを防いだ。このことから難攻不落の城とも呼ばれた。

しかし、豊臣秀吉による「小田原攻め(小田原征伐)」の際にはおよそ20万の兵で取り囲まれ、その間に北条氏の支城は次々と落とされていった。そしてついに数か月後には降伏した。

  • 築城:応永24年(1417年)
  • 廃城:明治4年(1871年)
  • 築城主:大森頼春
  • 構造:不明
  • 主な城主:後北条氏・阿部氏・稲葉氏・大久保氏
  • 日本100名城
  • 15世紀中頃、大森氏が小田原城を築城
  • 明応4年(1495年)、北条早雲が城を奪う(もう少し後とする説もある)
  • 永禄4年(1561年)、上杉謙信が小田原城を攻める
  • 永禄12年(1569年)、武田信玄が小田原城を攻める
  • 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏滅亡
  • 明治4年(1871年)、廃城
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興国寺城跡 https://rekishidou.com/kokokujijo/ https://rekishidou.com/kokokujijo/#respond Mon, 15 Jan 2018 01:43:59 +0000 http://rekishidou.com/?p=4215 静岡県沼津市にあった戦国時代の平山城。北条早雲ゆかりの城として知られる。

歴史・概略

  • 長享元年(1487年)、伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)が駿河守護である今川氏の家督争いで活躍、これによって所領を与えられ興国寺城主となった。この後盛時は伊豆の堀越公方を滅ぼし、さらに関東へと進出していった。
  • この城は駿河や伊豆、甲斐の国境に近いため争奪戦の渦中に置かれ、北条氏今川氏武田氏徳川氏など城主が目まぐるしく替わることとなったが、慶長12年(1607年)天野康景が領内の揉め事によって出奔し廃城となった。
  • 築城:不明
  • 廃城:慶長12年(1607年)
  • 築城主:不明
  • 構造:連郭式・平山城
  • 主な城主:北条氏・武田氏・松平氏・中村氏・天野氏
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