静岡県三島市にあった戦国時代末期の山城。
歴史・概略
戦国時代後期、小田原に本拠をおく北条氏康によって小田原城の西の防御を固めるための拠点として築城された山城。もともとは国境を接する武田氏、上杉氏に対する備えであったという。 小田原城(神奈川県小田原市)
豊臣秀吉による「小田原攻め(小田原征伐)」の際には城を守る兵力の約17倍という圧倒的な兵力差で城を取り囲まれ、わずか半日で落城したといわれる。その後、北条氏の滅亡とともにすぐに廃城となったため、城の縄張りや、堀や土塁の構築法など、北条流の独特な築城術によって築かれた遺構がそのまま残っているという。 小田原征伐の際、秀吉が築城した石垣山城本丸跡(神奈川県小田原市)
- 築城:永禄年間(1558年~1570年)
- 廃城:天正18年(1590年)
- 築城主:北条氏康
- 構造:山城
- 主な城主:松田氏
- 日本100名城
- 永禄年間(1558年~1570年)、北条氏により築城
- 天正17年(1589年)、小田原攻めに備えて改修
- 天正18年(1590年)、小田原攻めにより落城
- 天正18年(1590年)、廃城
見どころ・おすすめ
- 小田原攻めで廃城になった後、利用もされず放置されていたので当時そのままの状態が保存されている。案内が豊富でかなり整備もされていて、とても見やすい。特に障子堀の独特な景観はこれだけでも訪れる価値あり。
- 西側の眺望がすばらしい。富士山もどーんと見える。
史跡情報
地図 |
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【場所】 静岡県三島市山中新田 【付近の史跡】 [ 東・約8km ] しとどの窟(湯河原) [ 西・約8km ] 市ヶ原廃寺 [ 西・約9km ] 伊豆国分寺跡 [ 西・約11km ] 頼朝・義経対面石 [ 東・約14km ] しとどの窟(真鶴) |
主な施設 |
本丸・二の丸・西の丸・三の丸・御馬場曲輪・岱崎出丸・すりばち曲輪・武将の墓(松田康長・間宮康俊・一柳直末ほか) |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・JR「三島」駅から約10Km 【バス】 ・沼津登山東海バス「山中城跡」バス停 【マイカー】 ・東名高速「沼津IC」から約18Km ・駐車場あり |