豊臣秀吉

天分6年(1537年)~慶長3年(1598年)
尾張出身の戦国武将。木下弥右衛門の長男。他に木下藤吉郎、羽柴秀吉、藤原秀吉など。織田信長の重臣。正室は寧々、側室に淀君、子に秀頼、兄弟に秀長、旭姫など。近江長浜城主、播磨姫路城主、山城山崎城主、摂津大阪城主、山城聚楽第城主、山城伏見城主、関白、太政大臣、太閤。信長の死後は天下人となり、約100年続いた戦国の世を終わらせた。

墓・慰霊碑

豊国廟(豊臣秀吉の墓)

京都市にある豊臣秀吉の墓所。歴史・概略豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)。木下藤吉郎・羽柴秀吉・藤原秀吉。 近江長浜城主・播磨姫路城主・摂津大阪城主。関白・太政大臣。 木下弥右衛門の子(諸説あり)。母は「なか...
寺社

大仏殿跡緑地公園(京の大仏)

豊臣秀吉が造営した「京の大仏」の大仏殿跡。歴史・概略天正14年(1586年)、天下人となった豊臣秀吉は、奈良の大仏に倣って京に大仏の造立を始めた。しかし、慶長元年(1596年)に発生した慶長伏見地震によって、ほぼ完成してい...
城跡

豊臣秀吉妙顕寺城跡

京都府京都市にあった羽柴秀吉(豊臣秀吉)の屋敷跡。歴史・概略天正10年6月2日(1582年6月21日)に起った「本能寺の変」により、織田家臣団の中で権力闘争が表面化した。「山崎の合戦」で謀反を起こした明智光秀に勝利し、家臣...
城跡

指月伏見城跡

京都府京都市にあった幻の城。歴史・概略 豊臣秀吉の隠居城で、京都と大阪を結ぶ要衝である伏見の地に築城された。後に築城された木幡山伏見城(こはたやまふしみじょう)と区別するため、指月伏見城(しげつふしみじょう)と呼ばれる。築...
城跡

木幡山伏見城跡

京都府京都市に江戸時代初期にかけてあった城。歴史・概略 大阪と京都を水運で結ぶ伏見の地に豊臣秀吉が築城した城。「関ケ原の戦い」の際には激しい戦闘も行われた。先に築城された指月伏見城(しげつふしみじょう)と区別するため、木幡山伏見城...
その他遺跡

太閤(背割)下水

大阪にある江戸時代の下水道跡。歴史・概略戦国時代末期に豊臣秀吉が行った大阪城築城の際、合わせて行われた町づくりの一環として整備された下水溝のひとつと考えられ、下水溝の一部は現在も現役として使用されている。道路・建...
邸宅・住居跡

吉田稔麿殉節地・山本覚馬八重邸・御土居跡

長州藩の志士・吉田稔麿が池田屋事件の戦闘で亡くなった地。また山本覚馬・新島八重の邸宅跡、および御土居の跡とされる。歴史・概略碑文 「此付近 池田屋事件 吉田稔麿殉節之地」 「北隣地 明治時代 山本覚馬・八重邸宅跡」 ...
その他遺跡

御土居(豊臣秀吉)

安土桃山時代、豊臣秀吉が築いた京都の街を取り囲んでいた土塁跡。歴史・概略御土居(おどい)は『応仁の乱』から続く、長きに渡る戦乱によって荒廃した京都の街の都市整備の一環として作られた。その目的は街全体の防衛と、洪水対策のため...
城跡

郡山城跡

大阪府茨木市にあった城。 荒木村重・中川清秀と和田惟政・茨木重朝が戦った「白井河原の戦い」の際、惟政側として参戦した。歴史・概略元亀2年(1571年)、「白井河原の戦い」において郡山城主・郡兵太夫(こおり・へいだゆう)が...
城跡

宇都宮城

栃木県宇都宮市にあった城。江戸時代の宇都宮藩藩庁。 戊辰戦争の激戦地となった城で土方歳三らの活躍で知られる。歴史・概略平安時代末期、藤原秀郷もしくは宇都宮氏の祖・藤原宗円によって築城されたと伝わる。 天正18年(1...
城跡

名護屋城跡(文禄・慶長の役)

「文禄・慶長の役」の際、豊臣秀吉の命により築かれた城。歴史・概略天正18年(1590年)の「小田原攻め」により天下統一を果たした秀吉はさらに大陸への進出を計画、「文禄の役」「慶長の役」の二度にわたる大規模な戦闘を繰り広げた...
京跡・宮跡

仙洞御所・大宮御所・豊臣秀吉京都新城跡(京都御苑)

京都府京都市京都御苑内にある江戸時代初期に造営された御所。豊臣秀吉が晩年に築いた京都新城跡地でもある。歴史・概略元々この場所には、豊臣秀吉が関白の政庁兼邸宅として建てた聚楽第を破却した後に、その代わりとした邸宅があった。こ...
寺社

北野天満宮(菅原道真)

京都府京都市にある菅原道真公を祀る平安時代より続く神社。歴史・概略平安時代初期、菅原道真(すがわら・みちざね)が左遷先の大宰府で没した後、京都で清涼殿への落雷や影木病の蔓延など災害が続いたため、祟りを恐れた朝廷が道真の官位...
その他遺跡

御土居

豊臣秀吉が築いた京都の街を取り囲んでいた土塁跡。歴史・概略御土居(おどい)は『応仁の乱』から続く長きに渡る戦乱によって荒廃した京都の街の都市整備の一環として作られ、その目的は街全体の防衛と洪水対策のためとされる。京都の中心...
その他遺跡

御土居

豊臣秀吉が築いた京都の街を取り囲んでいた土塁跡。歴史・概略御土居(おどい)は『応仁の乱』から続く長きに渡る戦乱によって荒廃した京都の街の都市整備の一環として作られ、その目的は街全体の防衛と洪水対策のためとされる。京都の中心...
その他遺跡

御土居

豊臣秀吉が築いた京都の街を取り囲んでいた土塁跡。歴史・概略御土居(おどい)は『応仁の乱』から続く長きに渡る戦乱によって荒廃した京都の街の都市整備の一環として作られ、その目的は街全体の防衛と洪水対策のためとされる。京都の中心...
その他遺跡

御土居

豊臣秀吉が築いた京都の街を取り囲んでいた土塁跡。歴史・概略御土居(おどい)は『応仁の乱』から続く長きに渡る戦乱によって荒廃した京都の街の都市整備の一環として作られ、その目的は街全体の防衛と洪水対策のためとされる。京都の中心...
その他遺跡

御土居

豊臣秀吉が築いた京都の街を取り囲んでいた土塁跡。歴史・概略御土居(おどい)は『応仁の乱』から続く長きに渡る戦乱によって荒廃した京都の街の都市整備の一環として作られ、その目的は街全体の防衛と洪水対策のためとされる。京都の中心...
城跡

石垣山城跡(小田原征伐)

神奈川県小田原市にあった戦国時代の山城。相模国小田原城を本拠とする戦国大名・北条氏を討伐する際に豊臣秀吉が築城した陣城である。歴史・概略天正18年(1590年)、天下統一を目指す秀吉は15万ともいわれる大軍によって小田原攻...
城跡

淀古城址・戊辰戦争砲弾貫通跡

京都府京都市にあった室町時代から安土桃山時代にかけての城。 「鳥羽伏見の戦い」における戦場のひとつ。歴史・概略 京都に近く、桂川、宇治川、木津川が合流する天然の要害に築城された城で、室町時代中頃に足利氏の一門・畠山氏によって築城...
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