後宇多天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 20 Mar 2023 04:19:10 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 後宇多天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 大炊御門万里小路殿址 https://rekishidou.com/oinomikado/ https://rekishidou.com/oinomikado/#respond Wed, 15 Apr 2020 03:54:12 +0000 https://rekishidou.com/?p=9949 平安時代から鎌倉時代にかけて使われた公卿の邸宅跡、および御所跡。

歴史・概略

  • 平安時代中期、但馬守・源高房がこの場所で邸宅を営む。屋敷が大炊御門大路(おおいのみかどおおじ)・万里小路(までのこうじ)・冷泉小路(れいぜいこうじ)にあったことから大炊御門万里小路殿(おおいのみかどまでのこうじどの)、または冷泉万里小路殿(れいぜいまでのこうじどの)と呼ばれる。
  • 延久5年(1073年)、後三条天皇が病により当屋敷に移ったのち、そのまま崩御した。
  • 平安時代後期、公卿・源能俊の屋敷となり、白河上皇が仮の御所とした。
  • 鎌倉時代には、後嵯峨上皇が領し、そのあと亀山天皇後宇多天皇へと継承され大覚寺統の里内裏として使われた。
  • 大炊御門万里小路殿は火災によってたびたび焼失、再建を繰り返したが、元応元年(1319年)の焼失を最後に再建がされなかった。

見どころ・おすすめ

  • 石碑のみで特に有名な史跡ということもない。京都御苑のついでに足を運ぶくらいでいいと思う。
  • 同時代に使われた御所として二條富小路内裏址がこの南にある。

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