京都御苑

京都御所を中心とした公園で、かつては朝廷や公家などの屋敷が立ち並んでいたエリア。

邸宅・住居跡

花山院邸跡(京都御苑)

平安時代から明治に至るまで存在した藤原氏の邸宅跡、および御所跡。歴史・概略平安時代中期、清和天皇皇子・貞保親王(870年~924年)が邸宅を構えたことに始まるとされる。 その後、関白・藤原忠平の屋敷となり村上天皇の中宮...
邸宅・住居跡

縣井(京都御苑)

京の名水のひとつ縣井と呼ばれる井戸跡。五摂家のひとつ一條邸跡。歴史・概略縣井(あがたい)は染殿井(そめどのい)・左女牛井(さめがい)とともに「京の三名水」とも呼ばれていたが、現在は枯れてしまっているとのこと。...
邸宅・住居跡

染殿井(京都御苑・藤原良房染殿第跡)

平安時代前期の公卿・藤原良房の屋敷があった場所。歴史・概略藤原良房(ふじわら・よしふさ)は平安時代前期の公卿。文徳天皇(もんとくてんのう)の皇位継承に関わり、娘を入内させた。その後、間に生まれた幼い清和天皇(せいわてんのう...
京跡・宮跡

賀陽宮邸跡(京都御苑)

京都御苑内にあった宮家のひとつ賀陽宮の屋敷跡。歴史・概略賀陽宮(かやのみや)は幕末に創設された宮家のひとつで、文久3年(1863年)に伏見宮邦家親王の第4王子・久邇宮朝彦親王(くにのみや・あさひこしんのう)が還俗して中川宮...
その他遺跡

学習院跡(京都御苑)

学習院大学の起源となる「学習院」があった場所。歴史・概略江戸時代後期、光格天皇は朝廷の権威向上のため教育を推進し、続く仁孝天皇の代に教育施設の設置が幕府により認められ、弘化4(1847年)に開講した。 嘉永2年(184...
京跡・宮跡

桂宮邸跡(京都御苑)

京都御苑内にあった宮家のひとつ桂宮の屋敷跡。歴史・概略桂宮(かつらのみや)は伏見宮や有栖川宮、閑院宮と並ぶ四親王家のひとつで、安土桃山時代の智仁親王(正親町天皇の皇孫)を祖とし、明治時代になって断絶した。敷地内に...
邸宅・住居跡

一條邸跡(京都御苑)

京都御苑内にある藤原氏一族・一条家の屋敷跡。歴史・概略一条家(いちじょうけ)は、近衛家や九条家、二条家、鷹司家と並ぶ五摂家のひとつで、摂政や関白を輩出する家であった。その始まりは鎌倉時代の九条道家の三男・一条実経で、家名は...
邸宅・住居跡

枇杷殿跡(京都御苑)

京都御苑内にある平安時代の藤原氏の屋敷跡。歴史・概略枇杷殿(びわどの)は平安時代中期の公卿・藤原仲平の屋敷跡で、邸内に枇杷が植えられていたことが名の由来とされる。元は平安時代初期の公卿・藤原長良の屋敷で、その後基経や仲平、...
邸宅・住居跡

西園寺邸跡(京都御苑)

京都御苑内にある藤原氏一族・西園寺家の屋敷跡。歴史・概略西園寺(さいおんじ)家は、平安時代後期の公家・藤原通季(ふじわら・みちすえ)を祖とし、西園寺の名は4代藤原公経(ふじわら・きんつね)が北山の邸宅に建立した西園寺に由来...
京跡・宮跡

凝華洞跡(京都御苑)

京都守護職・松平容保が仮の宿舎とした凝華洞の跡。歴史・概略凝華洞(ぎょうかどう)は京都御所のすぐ南にあった屋敷で、江戸時代初期、後西天皇(ごさいてんのう)が退位後の仙洞御所として使っていたといわれる。元治元年(1...
邸宅・住居跡

中山邸跡(京都御苑・明治天皇生誕地)

京都御苑内にあった中山邸の跡。明治天皇生誕の地である。歴史・概略中山家は藤原氏の支流のひとつで、平安時代の公卿・中山忠親(なかやま・ただちか)を祖とする公家である。 知られる人物として幕末に大和で挙兵し後に暗殺された天誅...
京跡・宮跡

有栖川宮邸跡(京都御苑)

かつて有栖川宮邸があった場所。歴史・概略有栖川宮(ありすがわのみや)は、江戸御時代初期の後陽成天皇の第7皇子・高松宮好仁親王を祖とする宮家のひとつであった。もともとここには凝華洞(ぎょうかどう・御花畑)と呼ばれる屋敷があり...
邸宅・住居跡

近衛邸跡(京都御苑)

かつて京都御苑内にあった近衛邸の跡。歴史・概略近衛家(このえけ)は藤原氏一族のひとつで、平安時代末期の公卿・近衛基実を祖としている。他の九条家や二条家、一条家、鷹司家とともに、五摂家のひとつとして多くの摂政や関白を輩出して...
邸宅・住居跡

橋本家跡(京都御苑・和宮生誕地)

京都御苑内にある公家・橋本家の屋敷跡。和宮生誕の地である。歴史・概略橋本家は藤原氏一族のひとつで、鎌倉時代中期の太政大臣・西園寺公相(さいおんじきんすけ)の四男であった橋本実俊(はしもとさねとし)に始まる。藤原北家閑院流。...
京跡・宮跡

仙洞御所・大宮御所・豊臣秀吉京都新城跡(京都御苑)

京都府京都市京都御苑内にある江戸時代初期に造営された御所。豊臣秀吉が晩年に築いた京都新城跡地でもある。歴史・概略元々この場所には、豊臣秀吉が関白の政庁兼邸宅として建てた聚楽第を破却した後に、その代わりとした邸宅があった。こ...
邸宅・住居跡

九条邸跡(京都御苑)

かつて京都御苑内にあった九条邸の跡。歴史・概略九条家は藤原氏一族のひとつで、鎌倉時代の公卿・九条兼実(くじょう・かねざね)を祖としている。他の四家(近衛家・二条家・一条家・鷹司家)とともに五摂家と呼ばれ、多くの摂政や関白を...
京跡・宮跡

閑院宮邸跡(京都御苑)

京都御苑内にあった閑院宮邸の跡。歴史・概略閑院宮(かんいんのみや)は、第113代東山天皇の皇子である直仁親王(なおひとしんのう)により宝永7年(1710年)に創設された宮家で、伏見宮や桂宮、有栖川宮家と並んで江戸時代の四親...
事件

猿ヶ辻(京都御苑)

京都御所の北東角にあたる場所。歴史・概略北東の方角は鬼門と呼ばれ、古くから鬼の出入りする場所とされている。そのため、災いから守る意味で北東の角だけ凹ませてある。さらに、築地屋根の下には「魔が去る」ということから、烏帽子をか...
邸宅・住居跡

鷹司邸跡(京都御苑)

「禁門の変」の舞台となった鷹司邸があった場所。歴史・概略鷹司家(たかつかさけ)は藤原氏五摂家のひとつで関白や太政大臣などの任に就く家柄であった。幕末期、「八月十八日の政変」によって失った長州藩の勢力を回復するため起こった「...
京跡・宮跡

蛤御門(京都御苑)

京都御苑にある門。「禁門の変」で長州勢力と幕府勢力との戦闘が行われた場所。この門の名をとって「蛤御門の変」とも呼ばれる。歴史・概略蛤御門(はまぐりごもん)は京都御所を守る外郭九門のうちのひとつ。正式には新在家御門だが、御所...
タイトルとURLをコピーしました