難波田九郎三郎 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Fri, 17 Mar 2023 11:29:49 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 難波田九郎三郎 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 難波田城公園 https://rekishidou.com/nanbatajo/ https://rekishidou.com/nanbatajo/#respond Mon, 29 Jan 2018 01:37:13 +0000 http://rekishidou.com/?p=6054 埼玉県富士見市にあった鎌倉時代から戦国時代にかけての平城。

歴史・概略

  • 「武蔵七党」と呼ばれる武士団のひとりであった金子高範(かねこたかのり)が、「承久の乱」において討ち死にし、その恩賞として難波田(南畑)が与えられた。そこに館を構えたのが始まりとされ、その後難波田氏(なんばだ)を名乗った。
  • 観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」の際には、城主の九郎三郎足利直義に与して、荒川西岸の羽根倉高麗彦四郎経澄(こまつねずみ)と戦って討死した。その後扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)に仕えたが、「河越城の戦い」で扇谷上杉家が滅亡すると没落した。
  • その後は北条氏の支城となっていたが、小田原征伐の後に廃城となった。
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羽根倉古戦場(観応の擾乱) https://rekishidou.com/hanekura/ https://rekishidou.com/hanekura/#respond Sun, 28 Jan 2018 03:43:00 +0000 http://rekishidou.com/?p=5584 室町幕府初期、政権内で起こった内乱「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」における古戦場のひとつ。

歴史・概略

  • 足利尊氏による室町幕府樹立からしばらくたった貞和5年(1349年)、政権の運営を巡って尊氏派直義尊氏の弟)の政権分裂を招き、対立が激化するに至った。
  • 観応2年(1351年)、直義派高麗経澄(こまつねずみ)尊氏側へと寝返り、直義派の拠点となっている鎌倉を目指した。直義派であった難波田城(なんばだじょう)城主・難波田九郎三郎はこれを迎え撃つため出陣、城の約2キロ東にある荒川の西岸羽根倉(はねくら)において交戦した。
    結果、難波田勢は敗北、九郎三郎以下多くが討ち死にした。
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