足利政権内で起こった内乱「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)」における古戦場のひとつ。
歴史・概略
- 貞和5年(1349年)、政権の運営を巡って尊氏派と直義派に政権内部が分裂、対立が激化した。
- 観応2年(1351年)、直義派の高麗経澄(こまつねずみ)が尊氏側へと寝返り、直義派の拠点となっている鎌倉を目指したため、直義派であった難波田城(なんばだじょう)城主・難波田九郎三郎は羽根倉(はねくら)でこれを迎え撃った。
結果、難波田勢は敗北、九郎三郎以下多くが討ち死にした。
施設データ
地図 |
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住所:埼玉県志木市宗岡 羽根倉古戦場(観応の擾乱) 周辺の史跡を探す |
主な施設 |
案内板のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
・国際興業バス「宗岡蓮田」バス停 ・駐車場あり |
コメント