菅原道真 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Sun, 29 Oct 2023 06:25:31 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 菅原道真 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 北野天満宮(菅原道真) https://rekishidou.com/kitanotenmangu/ https://rekishidou.com/kitanotenmangu/#respond Fri, 14 Apr 2017 00:32:25 +0000 http://rekishidou.com/?p=1197 京都府京都市にある菅原道真公を祀る平安時代より続く神社。

歴史・概略

  • 平安時代初期、菅原道真(すがわら・みちざね)が左遷先の大宰府で没した後、京都で清涼殿への落雷や影木病の蔓延など災害が続いたため、祟りを恐れた朝廷が道真の官位を戻して北野に社殿を建て祀ったことに始まる。その後は権力者たちの崇敬を受け、今では学問の神様として信仰されるようになった。
  • 鎌倉時代には麹の製造販売を行う北野麹座として発展し、室町時代には幕府から独占の許しを得るが、その後麹座の利権を巡って幕府が出動する騒動が起き、これにより社が焼失した。
  • 安土桃山時代には関白となった豊臣秀吉が、北野天満宮境内にて大茶会(北野大茶会:きたのだいさのえ)を催し秀吉自らが茶を振る舞ったという。
  • 慶長12年(1607年)、秀吉の遺命により豊臣秀頼が造営を行う。現在見られる社殿はこのときのものである。
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菅家邸址(紅梅殿・菅原道真屋敷跡) https://rekishidou.com/kenketei/ https://rekishidou.com/kenketei/#respond Fri, 17 Mar 2017 01:02:00 +0000 http://rekishidou.com/?p=1318 平安時代前期の貴族・菅原道真の屋敷跡。

歴史・概略

  • 菅原道真(すがわら・みちざね)宇多天皇醍醐天皇に仕え、右大臣にまで出世した人物。しかし、そのことが他の貴族たちの不興を買って九州の大宰府に左遷され、そのまま京都に帰ることなく没してしまった悲劇の貴族である。
  • 大宰府政庁跡

    菅原道真が左遷された九州大宰府政庁跡(福岡県太宰府市)

  • その後、京都で異変が相次いだため、都では道真の祟りではないかと恐れられた。そこで朝廷は道真の冠位を戻し、天満宮に祀って信仰の対象とした。現在でも天満宮は学問の神様として、多くの人々の信仰を集めている。
  • このすぐ南側には白梅殿と呼ばれる菅原氏の屋敷があり、それに対してこちらの道真邸は紅梅殿と呼ばれた。

見どころ・おすすめ

  • この石碑の南隣に菅原道真の誕生地とされる菅大臣神社(白梅殿)がある。
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菅家邸址(菅大臣神社・菅原道真誕生地) https://rekishidou.com/kanketei/ https://rekishidou.com/kanketei/#respond Fri, 17 Mar 2017 02:16:19 +0000 http://rekishidou.com/?p=1315 菅原道真などを輩出した菅原氏(菅家)累代の屋敷跡。

歴史・概略

  • 菅原氏(すがわらし)は文章道で朝廷に仕える家柄で、中でも平安時代前期道真(みちざね)宇多天皇に重用され、右大臣にまで昇進した。しかし、このことが逆に周りとの軋轢を生んで、大宰府へ左遷される原因ともなった。
  • 大宰府政庁跡

    九州大宰府政庁跡(福岡県太宰府市)

  • 承和12年6月25日(845年8月1日)、この屋敷において道真が誕生したとされる。ただ、他にも説があり定まってはいない。
  • こちらは白梅殿とも呼ばれた屋敷であり、それに対して北側にあった道真邸は紅梅殿と呼ばれた。また、ここには屋敷のほか菅原氏が主宰した私塾・菅家廊下(かんけろうか)があり、ここから多くの人材を輩出した。

見どころ・おすすめ

  • 菅大臣神社の北側をすぐ出たところに紅梅殿跡碑が立つ。
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