後伏見天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Wed, 15 Mar 2023 01:56:23 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 後伏見天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 持明院仙洞御所跡 https://rekishidou.com/jimyointei/ https://rekishidou.com/jimyointei/#respond Tue, 20 Aug 2019 01:37:15 +0000 http://rekishidou.com/?p=7133 平安時代から室町時代にかけて藤原氏の邸宅、および天皇退位後の御所として使われた屋敷跡

歴史・概略

  • 持明院(じみょういん)平安時代後期、陸奥守・鎮守府将軍に任ぜられた藤原基頼(ふじわら・もとより)が、屋敷を構えたことに始まる。持明院の名は、基頼が邸内に建立した持仏堂の名に由来する。
  • 基頼の子・藤原通基が持明院を改築して安楽光院(安楽行院)と改名、持明院は邸宅の名として残り、以降は家号として使われた。
  • 鎌倉時代、高倉天皇の第二皇子・守貞親王(後高倉院)が持明院基家の娘・陳子を妃とし、持明院を御所とした。「承久の乱」の後、二人の間に生まれた皇子・後堀河天皇が即位、幼い天皇に代わって守貞親王がここで院政を行っている。
  • その後、後堀河天皇四条天皇に譲位すると、持明院を御所として院政を行った。後に後嵯峨天皇後深草天皇も御所とし、後深草天皇以降、皇統が別れた後は後深草天皇の子孫である伏見上皇後伏見上皇花園上皇光厳上皇光明上皇崇光天皇が御所とした。この皇統は使われた御所から、持明院統と呼ばれ室町時代初期には北朝となった。
  • 文和2年/正平8年(1353年)、火災により焼失。安楽光院は再建されるが屋敷は再建されなかった。

見どころ・おすすめ

  • 石碑のみで特に何があるわけでもないので「応仁の乱」か聚楽第の史跡巡りや京都御苑のついでに組み込むのがよいかと。

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