北条氏綱 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Sat, 18 Mar 2023 12:40:12 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 北条氏綱 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 小田原城 https://rekishidou.com/odawarajo/ https://rekishidou.com/odawarajo/#respond Mon, 25 Jan 2016 02:20:02 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=457 神奈川県小田原市にあった城。江戸時代の小田原藩の藩庁。

歴史・概略

戦国時代、相模に進出してきた大森氏によって築城され、その後、後北条氏の祖となる伊勢盛時(北条早雲)によって奪われた。息子の北条氏綱の代になって以後は北条氏の居城となった。

関東の覇権を巡り上杉謙信武田信玄などから相次いで侵攻を受けるが、小田原城の堅固な構えを前にこれを防いだ。このことから難攻不落の城とも呼ばれた。

しかし、豊臣秀吉による「小田原攻め(小田原征伐)」の際にはおよそ20万の兵で取り囲まれ、その間に北条氏の支城は次々と落とされていった。そしてついに数か月後には降伏した。

  • 築城:応永24年(1417年)
  • 廃城:明治4年(1871年)
  • 築城主:大森頼春
  • 構造:不明
  • 主な城主:後北条氏・阿部氏・稲葉氏・大久保氏
  • 日本100名城
  • 15世紀中頃、大森氏が小田原城を築城
  • 明応4年(1495年)、北条早雲が城を奪う(もう少し後とする説もある)
  • 永禄4年(1561年)、上杉謙信が小田原城を攻める
  • 永禄12年(1569年)、武田信玄が小田原城を攻める
  • 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏滅亡
  • 明治4年(1871年)、廃城
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川越城 https://rekishidou.com/kawagoejo/ https://rekishidou.com/kawagoejo/#respond Sun, 11 Feb 2018 02:05:37 +0000 http://rekishidou.com/?p=4302 埼玉県川越市にあった室町時代から江戸時代にかけての城。江戸時代の川越藩藩庁。
河越城、初雁城、霧隠城とも呼ばれる。

歴史・概略

  • 長禄元年(1457年)、当時扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)が対立していた足利氏(古河公方)に対抗する拠点として扇谷上杉氏家宰・太田道真太田道灌(おおた・どうかん)父子によって築城、そのまま城主となった。
  • 天文15年(1546年)北条氏が川越城の攻防に勝利、これにより扇谷上杉家は滅亡、山内上杉家も勢力を失った。北条氏滅亡後は徳川氏の領地となり、江戸幕府樹立後は江戸城に近いことから幕府の要職に就く有力大名が入った。
  • 築城:長禄元年(1457年)
  • 廃城:明治2年(1869年)
  • 築城主:太田道真、太田道灌父子
  • 構造:平山城
  • 主な城主:扇谷上杉氏・後北条氏・酒井氏・堀田氏・越前松平氏
  • 日本100名城・関東七名城

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