清和天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Fri, 05 May 2023 00:17:51 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 清和天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 染殿井(京都御苑・藤原良房染殿第跡) https://rekishidou.com/somedonoi/ https://rekishidou.com/somedonoi/#respond Tue, 13 Aug 2019 01:02:41 +0000 http://rekishidou.com/?p=2842 平安時代前期の公卿・藤原良房の屋敷があった場所。

歴史・概略

  • 藤原良房(ふじわら・よしふさ)平安時代前期の公卿。文徳天皇(もんとくてんのう)の皇位継承に関わり、娘を入内させた。その後、間に生まれた幼い清和天皇(せいわてんのう)を皇位につけ、良房は外戚として権力を振るった。さらに貞観8年(866年)に起った「応天門の変」では、政敵の大伴氏を排除して藤原氏として初めて摂政に就くなど、後に続く藤原氏隆盛の基礎を築いた人物である。
    この場所には、良房の屋敷である染殿第(そめどのだい・そめどのてい)があったといわれる。
  • 染殿第は、良房の娘であり清和天皇の生母でもある藤原明子(ふじわら・めいし)の御所として使われ、清和天皇陽成天皇(ようぜいてんのう)に譲位した後の御所としている。
  • 染殿井は染殿第の中にあった井戸で、かつては京都三名水のひとつといわれていた。しかし、現在は枯れてしまい遺構となっている。
    左女牛井之跡

    京都三名水のひとつ左女牛井之跡(京都府京都市)

見どころ・おすすめ

  • かつて存在していた宮家や公家屋敷の多くは、一部を残してほとんどが撤去されており、今は一年中草花が楽しめる公園として整備されている。
  • 京都御苑内は平安時代から幕末に至る屋敷跡が点在し、いたるところに説明書きの駒札が立てられているので、それを巡るだけでもかなり楽しめる。

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離宮八幡宮 https://rekishidou.com/rikyuhachimangu/ https://rekishidou.com/rikyuhachimangu/#respond Thu, 25 Feb 2016 01:24:54 +0000 http://rekishidou.com/?p=1500 京都府大山崎町にある神社で、武家からの信仰が厚い八幡大神を祀る。

歴史・概略

  • 清和天皇(せいわてんのう)の勅命により、石清水八幡宮を建立したことが始まりとされる。その後、河陽宮(かやのみや)という嵯峨天皇(さがてんのう)が置いた離宮跡であることから、離宮八幡宮との名がついた。
  • 貞観年間(859年~877年)には、神官によって搾油器が発明され、荏胡麻油(えごまあぶら)の製造が開始されていった。その後、八幡宮は荏胡麻油の独占的な販売権を有し、油座として大いに栄えたという。境内には、日本最初の精油が開始された地として発祥地を示す碑が建つ。
  • 元治元年(1864年)に起った禁門の変の際、長州藩が屯所を置いていたため、幕府側の攻撃を受け建物の多くが消失してしまった。

見どころ・おすすめ

  • 河陽宮故址碑-嵯峨天皇の離宮「河陽宮」跡碑。
  • 本邦製油発祥地碑・油祖像-えごま油の製造がこの場所で開始されたことを示す碑。
  • 宝塔礎石-かつて境内に建てられていた宝塔の礎石。「禁門の変」において焼失したとされる。
  • かしき石-奈良時代頃の礎石とみられ、山崎にあった古代寺院の礎石とされるが詳細は不明。礎石はその後加工され、手水鉢として再利用されていた。
  • この周辺は「山崎の合戦」や「禁門の変」において戦場となったことから、いくつもの史跡が点在する。割と広範囲であるがまとめて回るのがおすすめ。

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平安時代初期、京都山崎に建てられた神社日本で最初に油の搾油を始め、油の製造販売の独占権を得て繁栄してきた歴史を持つ#歴史#禁門の変
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