十七烈士の墓(禁門の変) | 場所と地図 – 歴史のあと

十七烈士の墓(禁門の変)

十七烈士の墓 墓・慰霊碑
十七烈士の墓
ジャンル:墓・慰霊碑/古戦場
史跡年代:幕末維新

禁門の変」に敗れ敗走し、山崎天王山に立て籠もった尊王攘夷派ら17名の墓。

歴史・概略

  • 元治元年7月19日(1864年8月20日)、「八月十八日の政変」によって追放されていた長州藩や尊王攘夷派らが京都での復権を目指して挙兵、「禁門の変」が起こった。京を取り囲むように天龍寺と山崎、伏見に布陣していた長州藩および加担する勢力は、御所を目指して上京し蛤御門、中立売門、堺町御門を攻撃。しかし、御所の守備に薩摩藩が加勢するなど、長州藩は突破できず敗走した。
  • 一部の長州藩勢力は天王山まで撤退。会津藩新選組の追撃を受ける中、真木和泉守(まきいずみ・保臣)ら17名は兵の引き上げを見送るとそのまま天王山に立て籠もり、7月21日、自ら火を放ち爆死して壮絶な最期を遂げた。
  • 十七烈士
    【土佐藩】千屋菊二郎
    【土佐藩】松山深蔵
    【土佐藩】能勢達太郎
    【土佐藩】安藤真之助

    【宇都宮藩】岸上弘
    【宇都宮藩】廣田精一

    【久留米藩】加藤常吉
    【久留米藩】真木和泉守
    【久留米藩】松浦八郎
    【久留米藩】池尻茂四郎

    【筑前藩】松田五六郎

    【肥後藩】小坂小二郎
    【肥後藩】加屋四郎
    【肥後藩】中津彦太郎
    【肥後藩】酒井荘之助
    【肥後藩】宮部春蔵
    【肥後藩】西嶌亀太郎

  • 「禁門の変」前後のおもな出来事
    1863年 八月十八日の政変
    1864年 池田屋事件
    1864年 禁門の変
    1864年 第一次長州征伐
    1866年 薩長同盟
    1866年 第二次長州征伐

見どころ・おすすめ

史跡情報

地図
【場所】
京都府乙訓郡大山崎町字大山崎
【付近の史跡】
[ 北西・約0.4km ] 山崎城跡(羽柴秀吉)
[ 東・約0.6km ] 山崎津跡
主な施設
十七烈士の墓
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・JR「山崎」駅から約1.3Km
・阪急電車「大山崎」駅から約1.3Km
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