蛤御門(京都御苑) | 場所と地図 – 歴史のあと

蛤御門(京都御苑)

蛤御門 京跡・宮跡
蛤御門
ジャンル:京跡・宮跡/古戦場
史跡年代:江戸時代 ー

京都御苑にある門。「禁門の変」で長州勢力と幕府勢力との戦闘が行われた場所。この門の名をとって「蛤御門の変」とも呼ばれる。

歴史・概略

  • 蛤御門(はまぐりごもん)京都御所を守る外郭九門のうちのひとつ。正式には新在家御門だが、御所が火災にあった際に開かずの門であった門が開かれたため、火にあぶられて口を開く蛤になぞらえて蛤御門と呼ばれるようになったといわれる。
  • 文久3年8月18日(1863年9月30日)、朝廷の周囲から長州藩三条実美(さんじょう・さねとみ)ら長州藩寄りの公家が排除された(八月十八日の政変)。翌年、これは会津藩の策謀であるとして会津藩を排除するため長州藩が挙兵する。御所へと兵を進めた長州藩は元治元年7月19日(1864年8月20日)、遂に御所周辺で衝突した。
    長州藩は蛤御門、中立売門、下立売門、堺町御門を攻撃、しかし会津藩や薩摩藩などの反撃にあい、結局突破しきれず目的を果たすことはできなかった。

  • 凝華洞跡

    戦闘の際、京都守護職であった会津藩主・松平容保が指揮を執ったという凝華洞跡(京都府京都市)

  • この戦闘で長州藩邸などにも火がかけられ、その火は京都の町に燃え広がった。多大な被害を出したこの火災は、後に「どんどん焼け」と呼ばれた。この後、長州藩は朝敵となり、幕府による長州征伐が行われることとなった。
  • ちなみに、戦闘が起こった当時の門は、ここより少し東側の場所に90度南を向いて建てられていたが、明治に行われた整備事業によって現在の場所に移動した。柱には当時戦闘でついた弾痕が、いまだにはっきりと残っている。

見どころ・おすすめ

  • 柱にはっきりと残る弾の痕は必見。
  • かつて存在していた宮家や公家屋敷の多くは、一部を残してほとんどが撤去されており、今は一年中草花が楽しめる公園として整備されている。
  • 京都御苑内は平安時代から幕末に至る屋敷跡が点在し、いたるところに説明書きの駒札が立てられているので、それを巡るだけでもかなり楽しめる。

関連動画

幕末の京都「禁門の変」激戦地!弾痕が残る蛤御門
京都御所を守る門のひとつ蛤御門失地回復のため上洛した長州藩とそれを防ごうとする幕府勢力が激戦を繰り広げた地#京都御苑#禁門の変#幕末

史跡情報

地図
【場所】
京都府京都市上京区京都御苑
【付近の史跡】
[ 西・約0km ] 土御門内裏跡
[ 南西・約0.1km ] 水戸藩邸跡(京都)
[ 南東・約0.2km ] 枇杷殿跡(京都御苑)
[ 南東・約0.2km ] 西園寺邸跡(京都御苑)
主な施設
蛤御門
利用時間
常時
定休日
無休
料金
無料
交通
【電車】
・京都地下鉄「今出川」「丸太町」駅
・京阪「出町柳」「神宮丸太町」駅
・叡山電鉄「出町柳」駅

【バス】
・市バス「烏丸一条」「烏丸下長者町」バス停

【マイカー】
・名神高速「京都南IC」から約9Km
・駐車場あり
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