山崎の合戦

天正10年6月13日(1582年7月2日)
羽柴秀吉と明智光秀が摂津と山城の国境、山崎でぶつかった戦い。この11日前、光秀が京都本能寺で織田信長を急襲したことに端を発し、報せを聞いた秀吉が京都へ向かう途中の山崎で光秀が待ち受けて戦闘となった。戦闘は秀吉側の勝利となり、光秀は敗走中の落ち武者狩りで命を落とした。この戦いから「天王山」「洞ヶ峠」「三日天下」などの言葉が生まれた。

城跡

勝龍寺城土塁 空堀跡

勝龍寺城は室町時代から江戸時代初期にかけて京都府長岡京市にあった城。 勝竜寺城・小竜寺城などの字もあてられる。歴史・概略延元4年/暦応2年(1339年)、細川頼春(細川藤孝の祖)により築城されたといわれるが信ぴょう性は低...
墓・慰霊碑

明智光秀胴塚

戦国時代最強の革命児である織田信長を謀反により殺害したいわゆる「本能寺の変」を起こしたことで知られる明智光秀の胴塚。歴史・概略天正10年6月2日(1582年6月21日)、明智光秀は京都本能寺にいた主君の織田信長を兵1万3千...
墓・慰霊碑

明智藪(光秀最後の地)

戦国時代最大のクーデターといわれる「本能寺の変」を起こした明智光秀最期の地。歴史・概略天正10年6月2日(1582年6月21日)、京都本能寺において坂本城主の明智光秀が主君の織田信長を襲撃、同時に二条御所においても信長の嫡...
墓・慰霊碑

明智光秀首塚

戦国時代末期、「山崎の戦い」に敗れたあと落命した明智光秀の塚。歴史・概略天正10年(1582年)6月2日、京都本能寺において明智光秀が主君の織田信長に対して謀反、信長・信忠父子を討ち取った(本能寺の変)。それから...
その他遺跡

大山崎の東黒門跡(山崎の合戦)

京都と大阪の中間点・大山崎集落にあった東黒門の跡。歴史・概略ここには古くより幹線道路として使われた西国街道が通っており、街道に沿って宿屋などが立ち並んでいた。そして西の端に西黒門、東の端に東黒門を設け、集落の治安維持をはか...
古戦場

山崎合戦古戦場(山崎の戦い)

京都の山崎で羽柴秀吉軍が明智光秀軍を破った「山崎の戦い」が行われた地。歴史・概略天正10年(1582年)、明智光秀が京都本能寺において主君である織田信長を討ち取ることに成功。この「本能寺の変」の知らせを聞いて、すぐさま備中...
寺社

宝積寺(山崎の戦い・禁門の変)

山崎天王山(京都府乙訓郡大山崎町)にある真言宗寺院。宝寺とも呼ばれる。歴史・概略神亀元年(724年)、東大寺の大仏造立にも関わった行基(ぎょうき)が聖武天皇の勅命によって建立したと伝わる。同じく行基によって淀川沿いに建てら...
古墳

恵解山古墳(明智光秀本陣跡)

京都府長岡京市にある100メートル超の前方後円墳。歴史・概略墳形:前方後円墳 長さ:128m(墳丘:78.6m) 高さ:10.4m(推定) 築造年代:5世紀前半古墳からは700点以上もの鉄製武...
古戦場

明智光秀本陣跡(境野1号墳)

京都府乙訓郡大山崎町にある前方後円墳。歴史・概略墳形:前方後円墳 長さ:58m(後円部:32m) 築造年代:4世紀後半戦国時代末期、「本能寺の変」が起こった後に明智光秀と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の...
古戦場

山崎合戦之地(旗立松)

天正10年(1582年)、「本能寺の変」をきっかけに始まった「山崎の合戦」が起きた場所。歴史・概略主君織田信長に対して謀反を起こした明智光秀と、光秀謀反の報を聞きつけすぐさま中国から引き返してきた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が...
城跡

勝龍寺城跡

京都府長岡京市にあった城。小竜寺城とも呼ばれる。 戦国時代には細川氏の城となり、明智光秀の娘たま(後のガラシャ夫人)が輿入れし、暮らした城として知られる。歴史・概略読み:しょうりゅうじじょう 築城:延元4年/暦応2...
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