小早川隆景 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Sun, 19 Mar 2023 06:03:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 小早川隆景 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 湯築城跡 https://rekishidou.com/yudukijo/ https://rekishidou.com/yudukijo/#respond Mon, 09 Apr 2018 02:48:58 +0000 http://rekishidou.com/?p=4960 愛媛県松山市にあった城。
室町時代頃から安土桃山時代にかけての城で湯月城とも呼ばれる。

歴史・概略

  • 建武2年(1335年)頃、伊予国の守護であった河野氏によって築城された。
  • 天文4年(1535年)頃、河野通直により外堀が整備される。
  • 天正13年(1585年)、豊臣秀吉が行った四国征伐により小早川隆景らが伊予に侵攻。河野氏は籠城の後に降伏、これにより「治承・寿永の乱(源平合戦)」のころより約400年に渡り続いた河野氏による支配が終わった。この後、城は隆景に与えられた。
  • 天正15年(1587年)、伊予に入った福島正則が国分山城に移り湯築城は廃城となった。
  • 築城:建武2年(1335年)頃
  • 廃城:天正15年(1587年)
  • 築城主:河野氏
  • 構造:平山城・梯郭式
  • 主な城主:河野氏、小早川隆景、福島正則
  • 日本100名城
]]>
https://rekishidou.com/yudukijo/feed/ 0
備中松山城 https://rekishidou.com/matsuyamajo/ https://rekishidou.com/matsuyamajo/#respond Tue, 08 May 2018 02:33:55 +0000 http://rekishidou.com/?p=4931 岡山県高梁市にあった城。江戸時代の備中松山藩藩庁。
ほかに高梁城(たかはしじょう)とも呼ばれる。現存する12天守のうちのひとつで雲海に浮かぶ城として知られる。

歴史・概略

  • 仁治元年(1240年)、備中有漢郷の地頭・秋庭三郎重信が大松山に築城。
  • 元弘年間(1331年頃)、高橋宗康によって小松山に城を拡張。
  • 天正3年(1575年)、毛利氏織田氏の争いとなる中、毛利方小早川隆景の攻撃を受け落城。
  • 慶長5年(1600年)、関ケ原の戦い」の後、徳川幕府が城番を置く。
  • 元和3年(1617年)、池田長幸が入城。
  • 寛永19年(1642年)、水谷勝隆が入城。
  • 元禄6年(1693年)、水谷家が断絶し赤穂藩家老・大石内蔵助が城番となる。
  • 元禄8年(1695年)、安藤重博が入城。
  • 正徳元年(1711年)、石川総慶が入城。
  • 延享元年(1744年)、板倉勝澄が入城。以降明治に至るまで板倉氏が藩主となる。
  • 築城:仁治元年(1240年)
  • 廃城:明治7年(1874年)
  • 築城主:秋庭三郎重信
  • 構造:山城・連郭式
  • 主な城主:三村氏、水谷氏、板倉氏
  • 日本100名城
  • 現存天守
]]>
https://rekishidou.com/matsuyamajo/feed/ 0
月山富田城 https://rekishidou.com/gassantodajo/ https://rekishidou.com/gassantodajo/#respond Sat, 27 Feb 2016 04:15:31 +0000 http://rekishidou.com/?p=1940 島根県安来市にあった城。
戦国時代、山陰の一大勢力であった尼子氏が本拠としていたことで知られる。

歴史・概略

築城は平安時代末期の保元、平治の頃と伝わるが定かではない。戦国時代になると、京極氏の守護代であった尼子氏が城を奪って戦国大名として勢力を拡大していったが、中国の覇者となった毛利氏に敗れた。

関ケ原の戦い」以降は堀尾氏の居城となったが、慶長16年(1611年)、不便な山城から新たに築城した松江城に移り廃城となった。

  • 築城:文治元年(1185年)頃?
  • 廃城:慶長16年(1611年)
  • 築城主:平景清? 佐々木高綱? 佐々木義清?
  • 構造:複郭式・山城
  • 主な城主:尼子氏・吉川氏・堀尾氏
  • 日本100名城
  • 文治元年(1185年)頃、平景清もしくは佐々木高綱佐々木義清により築城か。
  • 承久3年(1221年)、出雲守護となった佐々木義清が入城。
  • 興国4年/康永2年(1343年)、佐々木高氏(道誉)が出雲守護となる。
  • 正平19年/貞治3年(1364年)、山名時氏が出雲守護となる。
  • 元中8年/明徳2年(1391年)、京極氏が出雲守護となる。
  • 文明18年(1486年)、出雲守護代であった尼子経久が城を奪取。
  • 永禄9年(1566年) 、毛利氏の攻撃を受け落城。
  • 永禄12年(1569年)、山中鹿介ら尼子氏旧臣が尼子氏再興のため月山富田城を攻撃。
  • 慶長5年(1600年)、堀尾吉晴が入城。
  • 慶長16年(1611年)、堀尾忠晴が居城を松江城に移し廃城。
]]>
https://rekishidou.com/gassantodajo/feed/ 0