後村上天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 24 Apr 2023 04:47:56 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 後村上天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 金峯山寺(南朝行宮跡) https://rekishidou.com/kinpusenji/ https://rekishidou.com/kinpusenji/#respond Sat, 12 Dec 2020 09:04:23 +0000 http://rekishidou.com/?p=4483 奈良県吉野郡吉野町にある金峯山修験本宗(修験道)の本山。京都を脱出した後醍醐天皇が南朝を開いた場所として知られる。

歴史・概略

  • 金峯山寺(きんぷせんじ)役小角(えんのおづぬ)によって開かれた修験道の本山である。周辺の山や麓の多くの子院からなり、今は独立しているが山上ヶ岳にある大峯山寺もそのひとつだった。
    今は桜の名所として広く知られている。
  • 飛鳥時代(7世紀後半)、役小角により開基されたと伝わる。
  • 元弘3年(1333年)、鎌倉幕府の倒幕運動である「元弘の乱」が起こった際には、後醍醐天皇の皇子である護良親王が吉野で挙兵、幕府軍と戦った。
  • 延元元年/建武3年(1336年)、足利尊氏によって幽閉されていた後醍醐天皇が京都を脱出、穴生(後の賀名生)を経て、金峯山寺の僧坊である吉水院(きっすいいん・現吉水神社)に入った。後に塔頭のひとつ実城寺に遷って行宮とし、寺名を「金輪王寺」に改めた。
  • 延元4年/暦応2年(1339年)、後醍醐天皇が自身の皇子である後村上天皇に譲位、翌日崩御した。
  • 正平3年/貞和4年(1348年)、「四條畷の戦い」により南朝の有力武将・楠木正行(くすのき・まさつら)を下した高師直(こう・もろなお)が吉野を襲撃、行宮と金峯山寺を焼き討ちした。これにより後村上天皇は吉野を脱出、後に賀名生を行宮とした。
  • 正平23年/応安元年(1368年)、後村上天皇が住吉行宮において崩御。後村上天皇の皇子である長慶天皇(ちょうけいてんのう)が即位した。
  • 正平23年/応安元年(1368年)、南朝の有力武将・楠木正儀(くすのき・まさのり)が北朝に下ったため、一旦吉野へと後退した。
  • 正平24年/応安2年(1369年)、後村上天皇時代に行宮としていた金剛寺を再び行宮とした。
  • 天野山金剛寺

    南朝の拠点となった天野山金剛寺(大阪府河内長野市)

  • 文中2年/応安6年(1373年)、北朝からの攻撃を受け、再び行宮を吉野に遷した。
  • 天授5年/康暦元年(1379年)以前、栄山寺を行宮とした。
  • 慶長19年(1614年)、徳川家康の側近であった天海が学頭となり、天台宗傘下に置かれた。
  • 明治7年(1874年)、廃仏毀釈の流れを受け廃寺。
  • 明治19年(1886年)、復興。

【南朝の行宮の変遷】

年号 行在所 天皇
延元元年/建武3年(1336年) 吉野(奈良) 後醍醐天皇
後村上天皇
正平3年/貞和4年(1348年) 賀名生(奈良) 後村上天皇
正平6年/観応2年(1351年) 正平一統
正平7年/観応3年(1352年) 住吉(大坂) 後村上天皇
正平7年/観応3年(1352年) 賀名生(奈良) 後村上天皇
正平9年/文和3年(1354年) 金剛寺(大坂) 後村上天皇
正平15年/延文5年(1360年) 住吉(大坂) 後村上天皇
長慶天皇
正平23年/応安元年(1368年) 吉野(奈良) 長慶天皇
正平24年/応安2年(1369年) 金剛寺(大坂) 長慶天皇
文中2年/応安6年(1373年) 吉野(奈良) 長慶天皇
天授5年/康暦元年(1379年)以前 賀名生/栄山寺(奈良) 長慶天皇
後亀山天皇
元中9年/明徳3年(1392年) 南北朝合一

※資料の記述に揺れがあるので、あくまで参考程度に
※賀名生と栄山寺は同時期に行宮とされているので判断つかず

見どころ・おすすめ

  • 蔵王堂(本堂)-国宝。高師直の攻撃により焼失。現在の建物は天正20年(1592年)頃の再建。
  • 仁王門-国宝。南北朝時代頃の建物とされる。
  • 吉野朝宮址碑-後醍醐天皇が南朝の拠点とした実城寺の跡。現在は南朝妙法殿が建てられ、南朝の天皇とそれに尽くした人たちを祀っている。
  • 二天門跡村上義光公忠死之所碑-挙兵した護良親王が幕府軍から逃げる際、身代わりとなって自刃した村上義光(むらかみ・よしてる)を称える碑。
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多賀城跡 https://rekishidou.com/tagajo/ https://rekishidou.com/tagajo/#comments Tue, 16 May 2017 02:54:43 +0000 http://rekishidou.com/?p=4264 宮城県多賀城市にあった古代城柵跡。

歴史・概略

  • 神亀元年(724年)、大野東人(おおののあずまびと)により築城。陸奥国府や鎮守府が置かれ奈良時代から平安時代にかけて政治や軍事の中心となった。
    「伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)の乱」や貞観の大地震などにより焼失・倒壊を繰り返しその度に再建され、坂上田村麻呂の蝦夷征討の際や「前九年の役」、「後三年の役」の際にも軍事的拠点として機能した。
  • この場所は多賀城の中心にあたり政庁跡が確認されている。
  • 築城:神亀元年(724年)
  • 廃城:不明
  • 築城主:大野東人
  • 構造:古代城柵
  • 主な城主:
  • 日本100名城
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