織田信包 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Tue, 14 Mar 2023 01:16:53 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 織田信包 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 小田原城 https://rekishidou.com/odawarajo/ https://rekishidou.com/odawarajo/#respond Mon, 25 Jan 2016 02:20:02 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=457 神奈川県小田原市にあった城。江戸時代の小田原藩の藩庁。

歴史・概略

戦国時代、相模に進出してきた大森氏によって築城され、その後、後北条氏の祖となる伊勢盛時(北条早雲)によって奪われた。息子の北条氏綱の代になって以後は北条氏の居城となった。

関東の覇権を巡り上杉謙信武田信玄などから相次いで侵攻を受けるが、小田原城の堅固な構えを前にこれを防いだ。このことから難攻不落の城とも呼ばれた。

しかし、豊臣秀吉による「小田原攻め(小田原征伐)」の際にはおよそ20万の兵で取り囲まれ、その間に北条氏の支城は次々と落とされていった。そしてついに数か月後には降伏した。

  • 築城:応永24年(1417年)
  • 廃城:明治4年(1871年)
  • 築城主:大森頼春
  • 構造:不明
  • 主な城主:後北条氏・阿部氏・稲葉氏・大久保氏
  • 日本100名城
  • 15世紀中頃、大森氏が小田原城を築城
  • 明応4年(1495年)、北条早雲が城を奪う(もう少し後とする説もある)
  • 永禄4年(1561年)、上杉謙信が小田原城を攻める
  • 永禄12年(1569年)、武田信玄が小田原城を攻める
  • 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏滅亡
  • 明治4年(1871年)、廃城
]]>
https://rekishidou.com/odawarajo/feed/ 0
津城 https://rekishidou.com/tsujo/ https://rekishidou.com/tsujo/#respond Fri, 06 May 2016 00:35:16 +0000 http://rekishidou.com/?p=3480 三重県津市にあった城。江戸時代の津藩藩庁。
別名、安濃津城(あのつじょう)。

歴史・概略

  • 戦国時代後期、伊勢の国人であった長野氏の一族・細野藤敦によって築城。その後、尾張より侵攻してきた織田信長の勢力下になると、信長の弟・織田信包(おだ・のぶかね)が入城し城の整備を行った。
  • 近江国小谷城浅井氏滅亡後はその妻であったお市や子のお茶々(後の豊臣秀吉室淀君)、お初(後の京極高次室)、お江(後の徳川秀忠室)らが住まった。
  • 関ケ原の戦い」の際には、城主の富田氏が東軍についていたため西軍の攻撃を受け落城した(安濃津城の戦い)。
  • その後多くの築城に携わり築城の名手として知られる藤堂高虎が入り、以後明治維新に至るまで藤堂家が藩主を務めた。
  • 築城:永禄年間(1558年~1570年)
  • 廃城:明治4年(1871年)
  • 築城主:細野藤敦
  • 構造:輪郭式・平城
  • 主な城主:細野氏・織田氏・富田氏・藤堂氏
]]>
https://rekishidou.com/tsujo/feed/ 0