角倉了以 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Wed, 08 Mar 2023 06:59:19 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 角倉了以 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 豊臣秀次公一族終焉之地(瑞泉寺) https://rekishidou.com/zuisenji/ https://rekishidou.com/zuisenji/#respond Tue, 01 Mar 2016 11:44:54 +0000 http://rekishidou.com/?p=2139 京都木屋町にある浄土宗西山禅林寺派の寺。

歴史・概略

見どころ・おすすめ

  • 木屋町周辺は幕末の志士たちの活動の場として、寓居跡や事件現場となった場所が数多くあるので、まとめて回れる。

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角倉了以別邸跡 https://rekishidou.com/suminokurabettei/ https://rekishidou.com/suminokurabettei/#respond Tue, 08 Mar 2016 00:43:35 +0000 http://rekishidou.com/?p=2069 京都の豪商・角倉了以が京都市中心部に流れる高瀬川源流部に建設した屋敷跡。

歴史・概略

  • 角倉了以(すみのくら・りょうい)は、江戸時代初期の京都の豪商。茶屋四郎次郎の茶屋家、後藤庄三郎の後藤家とともに「京の三長者」と呼ばれた。
  • 朱印船貿易によって莫大な富を得た了以は、大堰川や高瀬川などの開削を行い、その後舟運が盛んに行なわれるようになった。高瀬川一の舟入付近には屋敷を建て、その向かいの高瀬川源流にあたる部分には庭園を造り別邸とした。
  • 明治以降は、大物政治家のひとり山縣有朋が屋敷を購入し庭を改修、第二無鄰菴(むりんあん)と称する別邸を構えた。

見どころ・おすすめ

  • 高瀬川には一之船入跡が残されており、高瀬舟が浮かんでいた様子も再現されている。
  • 道を挟んだ正面には、了以の屋敷跡(現・日本銀行京都支店)がある。
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角倉氏邸址 https://rekishidou.com/suminokuratei/ https://rekishidou.com/suminokuratei/#respond Mon, 07 Mar 2016 11:39:30 +0000 http://rekishidou.com/?p=2064 京都高瀬川の開削を行った京都の豪商・角倉了以の邸宅があった場所。

歴史・概略

  • 角倉了以(すみのくら・りょうい)は、豊臣秀吉の時代、安南国(ベトナム)と朱印船貿易を行うことによって巨万の富を得た人物。さらに、私財を投じて京都の西側を流れる大堰川を開削し、船を使って物資の輸送を行った。
  • また、木屋町を流れる高瀬川の開削も行い、京都中心部と伏見を結ぶ舟運を行った。京都の街を南北にゆったりと進む水の流れは、現在の京都の景観を形作っている。

見どころ・おすすめ

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史跡高瀬川一之船入 https://rekishidou.com/sannofunairi/ https://rekishidou.com/sannofunairi/#respond Mon, 07 Mar 2016 02:24:00 +0000 http://rekishidou.com/?p=2045 江戸初期から大正時代にかけて利用された京都中心部木屋町を流れる高瀬川の船入跡。

歴史・概略

  • 高瀬川は江戸時代初期、京都の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)素庵(そあん)父子によって物流のため開削された運河で、京都中心部から伏見を結んだ。水深が浅いため行き来に底の平らな高瀬舟を使用したことから高瀬川と名付けられている。
  • 船入とは荷物の積み下ろしや船の方向転換を行う場所で、二条から四条の間に9か所設けられたが、現在この一之船入を除くすべてが埋め立てられている。

見どころ・おすすめ

  • 高瀬川の流れの中には、高瀬舟で荷物を運んでいた往時の様子が再現されている。
  • この北側に角倉了以の屋敷跡(現・日本銀行京都支店)とその正面には別邸跡(現・がんこ寿司)がある。

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