江戸時代末期の思想家・橋本左内の寓居(福井藩邸)跡。
歴史・概略
- 橋本左内(はしもと・さない)は福井の医者の家に生まれ、大坂にある緒方洪庵の適塾で医学を学んだ。その後、福井藩主の松平春嶽に見いだされ、側近として政治に関わるようになった。
- 安政4年(1857年)頃より、将軍徳川家定の病状悪化により激しさを増した将軍継嗣問題では、藩主の春嶽はじめ左内らは一橋慶喜を推した。
- この場所には福井藩邸があり、左内がここに滞在していたのはちょうど慶喜擁立の活動をしていた頃にあたる。
- その後、大老に井伊直弼が就任し、家定が亡くなった。次期将軍には直弼が推した慶福(家茂)が就くと、慶喜を推したいわゆる一橋派の粛清(安政の大獄)が始まり、左内は投獄され処刑された。
史跡情報
地図 |
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【場所】
京都府京都市中京区矢幡町 |
主な施設 |
石碑(現在工事中)・案内板 |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「二条城前」駅から約0.2Km 【バス】 ・市バス「二条城前」「堀川御池」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都南IC」から約7Km |