豊臣秀次 | 場所と地図 – 歴史のあと

豊臣秀次

永禄11年(1568年)~文禄4年(1595年)
尾張出身の戦国武将。他に三好信吉、羽柴秀次など。摂津三田城主、近江八幡山城主、尾張清洲城主、聚楽第城主、関白、左大臣。秀吉の甥。子の無かった秀吉の跡を継いで関白に就任したものの、その後秀吉の子・秀頼が誕生したことで秀吉との間に確執が生まれ切腹に追い込まれた。

城跡

小田原城

神奈川県小田原市にあった城。江戸時代の小田原藩の藩庁。 歴史・概略 戦国時代、相模に進出してきた大森氏によって築城され、その後、後北条氏の祖となる伊勢盛時(北...
城跡

大内裏及聚楽第東濠跡

平安京の大内裏跡、および豊臣秀吉が京都に築いた邸宅・聚楽第跡。 歴史・概略 平安京の政庁であった大内裏の北東部分に当たる場所。 大内裏は平安時代初期の頃から...
城跡

清州城

愛知県清須市に戦国時代から江戸時代初期にかけてあった城。 歴史・概略 応永12年(1405年)、尾張守護・斯波義重によって築城されたことに始まり、戦国時代には...
城跡

聚楽第跡(本丸西濠跡)

豊臣秀吉が京都に築いた邸宅・聚楽第跡。 歴史・概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、関白となった豊臣秀吉が京都に置いた政庁兼邸宅である。天正14年(1...
寺社

豊臣秀次公一族終焉之地(瑞泉寺)

京都木屋町にある浄土宗西山禅林寺派の寺。 歴史・概略 豊臣秀吉より関白の位を譲られた甥の豊臣秀次が謀反を疑われ高野山で切腹、秀次の首は三条河原にさらされた...
城跡

聚楽第南外濠跡

豊臣秀吉が一時期本拠としていた京都・聚楽第の跡。 歴史・概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、関白に就任した豊臣秀吉が、かつての平安京大内裏跡に築城し...
城跡

聚楽城鵲橋旧蹟

豊臣秀吉が関白として政務を執った聚楽第の跡地。 歴史・概略 聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は、豊臣秀吉が関白としての政務を果たすための拠点として、かつて...
城跡

山中城跡

静岡県三島市にあった戦国時代末期の山城。 歴史・概略 戦国時代後期、小田原に本拠をおく北条氏康によって小田原城の西の防御を固めるための拠点として築城された山城...