小笠原忠真 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 18 Sep 2023 03:24:54 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 小笠原忠真 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 明石城 https://rekishidou.com/akashijo/ https://rekishidou.com/akashijo/#respond Tue, 15 May 2018 01:35:43 +0000 http://rekishidou.com/?p=4904 兵庫県明石市にあった城。江戸時代の明石藩藩庁。
喜春城(きはるじょう)、錦江城(きんこうじょう)とも呼ばれる。

歴史・概略

もともとこの付近には高山右近などが城主を務めた船上城(ふなげじょう)があった。江戸時代初期、西国へ通ずる要衝の地であったこの地に幕府の命により新たな城を築城、船上城より移り西国大名への抑えとした。

  • 築城:元和4年(1618年)
  • 廃城:明治7年(1874年)
  • 築城主:小笠原忠真
  • 構造:平山城・連郭梯郭混合式
  • 主な城主:越前松平氏
  • 日本100名城
  • 元和4年(1618年)、信濃松本藩より入封した譜代大名・小笠原忠真により築城。
  • 寛永10年(1633年)、松平庸直(戸田松平氏)が入城。
  • 寛永16年(1639年)、大久保忠職が入城。
  • 慶安4年(1649年)、松平忠国(藤井松平氏)が入城。
  • 延宝7年(1679年)、本多政利が入城。
  • 天和2年(1682年)、松平直明(越前松平氏)が入城。以降明治に至るまで越前松平氏が藩主を務める。
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小倉城 https://rekishidou.com/kokurajo/ https://rekishidou.com/kokurajo/#respond Wed, 10 May 2017 00:23:16 +0000 http://rekishidou.com/?p=4253 福岡県北九州市にあった城。江戸時代の小倉藩藩庁。

歴史・概略

  • いつ頃築城されたかは不明であるが、鎌倉時代にはすでに存在していたとされる。その後豊臣秀吉による九州攻めの際には戦場となり、戦後、秀吉の家臣・森勝信(毛利勝信)が入城した。現在見られる縄張りは勝信によるものである。
  • その後「関ケ原の戦い」が勃発すると毛利家は西軍に与したため改易され、代わりに細川忠興が入った。しかし、寛永9年(1632年)細川家は肥後へ加増転封され、後には小笠原氏が入った。
  • 幕末に発生した長州征討では再び小倉が戦場となり小倉城は焼失した。
  • 築城:不明
  • 廃城:慶応2年(1866年)
  • 築城主:不明
  • 構造:不明
  • 主な城主:細川氏・小笠原氏
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松本城 https://rekishidou.com/matsumotojo/ https://rekishidou.com/matsumotojo/#respond Sat, 19 Dec 2015 13:30:14 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=92 長野県松本市にある城。現存12天守のうちのひとつ

歴史・概略

  • 築城:永正元年(1504年)
  • 廃城:明治4年(1871年)
  • 築城主:小笠原貞朝
  • 構造:梯郭式/輪郭式・平城
  • 主な城主: 小笠原氏・石川氏・越前松平氏・堀田氏・水野氏・戸田松平氏
  • 日本100名城
  • 国宝(天守5棟)
  • 天守は中心をなす大天守のほか乾小天守、渡り櫓、辰巳附櫓、月見櫓の5棟からなり、黒漆喰の黒い色が特徴的である。大天守は5重6階の建物で高さは約30メートルある。大天守、渡り櫓、および乾小天守の3棟は戦国時代に築かれ、残りの辰巳附櫓、月見櫓の2棟が江戸時代に建てられたとされる。
  • 永正元年(1504年)、信濃守護家である小笠原氏によって深志城が築城されたのが始まり。
  • 天文19年(1550年)、甲斐の武田氏の信濃侵攻を受け落城。城代として武田家重臣・馬場信春(ばば・のぶはる)が置かれた。
  • 永禄9年(1566年)までの間に同じく武田家重臣の内藤昌豊(ないとう・まさとよ)が城代に入る。
  • 天正10年(1582年)、武田氏滅亡後は織田配下となり木曾義昌(きそ・よしまさ)に預けられるが、「本能寺の変」で信長が亡くなると旧武田領を巡って争いとなり上杉氏の援助により小笠原洞雪斎(おがさわら・どうせつさい)が深志城を奪還した。しかし今度は徳川家康の力を借りて小笠原貞慶(おがさわら・さだよし)が奪還し、このとき松本城と改名された。
  • 天正18年(1590年)、徳川氏の関東移封に伴い豊臣秀吉配下の石川数正(いしかわ・かずまさ)が入城。
  • 文禄2年(1593年)、天守築造。現在見られる天守はこの頃のものと言われる。
  • 慶長18(1613年)、小笠原氏が入封。
  • 元和3(1617年)、戸田松平氏が入封。
  • 寛永10年(1633年)、越前松平氏が入封。
  • 寛永15年(1638年)、堀田氏が入封。
  • 寛永19年(1642年)、水野氏が入封。
  • 享保11年(1726年)、戸田松平氏が再び入封。これ以降明治維新まで戸田松平氏が藩主を務める。
  • 昭和27年(1952年)、国宝に指定

見どころ・おすすめ

  • 天守-国宝天守。現存12天守のひとつ。
  • 黒門・太鼓門-復元門。
  • 松本市立博物館-松本の街や松本城に関する展示館。
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