内藤昌豊

大永2年(1522年)~天正3年(1575年)
甲斐出身の戦国武将。他に工藤祐長、内藤昌秀とも。武田四天王、武田二十四将のひとり。もともと工藤姓を名乗っていたが、後に途絶えていた武田家の名跡である内藤姓を名乗った。武田信玄に仕え「川中島の戦い」にも出陣している。信玄の死後は勝頼に仕え「長篠の戦い」で多くの重臣たちとともに討死した。

古戦場

箕輪城跡

群馬県高崎市にあった城。 武田氏や織田氏、北条氏、徳川氏らの支配を受けた城で滝川一益や徳川四天王のひとり井伊直政が入ったことでも知られる。 築城:永正...
古戦場

内藤昌豊の墓

織田・徳川連合軍と武田軍との間で起こった「長篠の戦い」で討死した内藤昌豊/昌秀(ないとうまさとよ/まさひで)の墓。 昌豊は馬場信春や山県昌景、高坂昌信と...
古戦場

長篠役設楽原決戦場

天正3年(1575年)、父・武田信玄の跡を継いだ勝頼と織田・徳川連合軍が奥三河の長篠において衝突、武田軍が大敗を喫した「長篠の戦い」が起こった場所。「長篠役設楽...
古戦場

三方ヶ原古戦場

元亀3年12月(1573年1月)、西上を開始した武田信玄とそれを守る隣国の徳川家康との間に起きた戦闘の地。 信濃を平定し駿河侵攻によって領土の拡大を続け...
博物館

八幡原史跡公園

上杉謙信と武田信玄が北信濃で攻防を繰り広げた「川中島の戦い」(八幡原の戦い)の際、この場所に信玄が本陣を置いたとされる。 「川中島の戦い」は最初の対陣よ...
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