平治の乱 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Mon, 20 Mar 2023 05:22:25 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 平治の乱 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 平安宮一本御書所跡 https://rekishidou.com/ippongosyodokoro/ https://rekishidou.com/ippongosyodokoro/#respond Sat, 18 Jun 2016 04:45:57 +0000 http://rekishidou.com/?p=2525 平安京の一本御書所という施設があった場所。

歴史・概略

  • 延暦13年(794年)、桓武天皇(かんむてんのう)によって長岡京より平安京(へいあんきょう)に遷都。以来1000年に渡って日本の首都となった。
    この付近には都の中心である大内裏があり、その領域は東西1.2キロ、南北1.4キロに及んだ。大内裏内には天皇の居住区である内裏を始め、数多くの行政機関が立ち並んでいた。この場所には一本御書所(いっぽんごしょどころ)と呼ばれる施設があり、書籍の書き写しまたは希少本の保管をしていたとされる。
  • 平治元年(1160年)、藤原信頼後白河上皇の院御所である三条殿を襲撃し「平治の乱」が勃発。上皇の身柄を抑えた信頼はこの場所に上皇を幽閉、しかし上皇が半月ほどで脱出したため幽閉はごく短期間に終わっている。
  • 大内裏の建物は出火によって度々焼失し、その都度再建されてきたが、朝廷の衰えとともに次第に荒廃していった。

見どころ・おすすめ

  • 大内裏の建物跡地には石碑が立てられており、周辺に多くの石碑が点在しているのでまとめて回れる。

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三条東殿遺址「平治の乱」勃発の地 https://rekishidou.com/sanjohigasidono/ https://rekishidou.com/sanjohigasidono/#respond Tue, 17 Nov 2020 05:38:27 +0000 http://rekishidou.com/?p=1089 平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅、および皇族の御所跡。「平治の乱」が勃発するきっかけとなった戦闘が起こった地。

歴史・概略

  • 平安時代中期、ここには伊予守・藤原済家の邸宅があったとされる。その後、宮内卿・藤原家通藤原家保を経て、天治2年(1125年)白河法皇に渡った。法皇は殿舎を整えてここを院御所とした。
    同時期、西隣にも御所が置かれており、それぞれ三条東殿(三條東殿)、三条西殿(三條西殿)と呼ばれた。
  • 三条西殿跡

    三条西殿跡(京都府京都市)

  • 白河法皇の崩御後は、法皇の孫にあたる鳥羽上皇が院御所とし、中宮の待賢門院(たいけんもんいん・藤原璋子)とともに過ごした。
  • 長承元年(1132年)、火災により焼失。後に再建される。
  • 後白河法皇が院御所とする。
  • 平治元年12月9日(1160年1月19日)、後白河上皇二条天皇それぞれを推す派閥に分裂し、天皇を推す藤原信頼源義朝らが三条東殿を襲撃した。上皇と上西門院(法皇の姉)は捕らえられ幽閉、殿舎は焼失した。
    これにより「平治の乱」が勃発、乱の勝者となった平清盛が躍進していくきっかけとなった。
  • この後、後白河上皇は東山に法住寺殿を建設、焼失した三条東殿に代わる新たな拠点とした。
  • 廃された時期は不明だが、鎌倉時代初期までは存在が確認できる。

見どころ・おすすめ

  • この周辺には平安時代頃に使われた御所跡が多く点在する。石碑ばかりだが、まとめて回ってみるといい。

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