平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の邸宅、および皇族の御所跡。「平治の乱」が勃発するきっかけとなった戦闘が起こった地。
歴史・概略
- 平安時代中期、ここには伊予守・藤原済家の邸宅があったとされる。その後、宮内卿・藤原家通や藤原家保を経て、天治2年(1125年)に白河法皇に渡った。法皇は殿舎を整えてここを院御所とした。
同時期、西隣にも御所が置かれており、それぞれ三条東殿(三條東殿)、三条西殿(三條西殿)と呼ばれた。 - 白河法皇の崩御後は、法皇の孫にあたる鳥羽上皇が院御所とし、中宮の待賢門院(たいけんもんいん・藤原璋子)とともに過ごした。
- 長承元年(1132年)、火災により焼失。後に再建される。
- 後白河法皇が院御所とする。
- 平治元年12月9日(1160年1月19日)、後白河上皇と二条天皇それぞれを推す派閥に分裂し、天皇を推す藤原信頼と源義朝らが三条東殿を襲撃した。上皇と上西門院(法皇の姉)は捕らえられ幽閉、殿舎は焼失した。
これにより「平治の乱」が勃発、乱の勝者となった平清盛が躍進していくきっかけとなった。 - この後、後白河上皇は東山に法住寺殿を建設、焼失した三条東殿に代わる新たな拠点とした。
- 廃された時期は不明だが、鎌倉時代初期までは存在が確認できる。
見どころ・おすすめ
- この周辺には平安時代頃に使われた御所跡が多く点在する。石碑ばかりだが、まとめて回ってみるといい。
史跡情報
地図 |
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【場所】 京都府京都市中京区車屋町 【付近の史跡】
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[ 北・約0.1km ] 烏丸御池遺跡・平安京跡
[ 南西・約0.2km ] 三条烏丸御所跡
[ 東・約0.2km ] 在原業平邸跡
[ 北西・約0.2km ] 二条殿跡「本能寺の変」戦地
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主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「烏丸御池」駅から約0.1Km ・阪急電車「烏丸」駅から約0.7Km ・京阪電車「三条」駅から約1.2Km 【バス】 ・市バス「烏丸御池」バス停 ・京都バス「烏丸御池」バス停 ・京阪バス「烏丸御池」バス停 ・西日本JRバス「烏丸御池」バス停 【マイカー】 ・名神高速道路「京都南IC」から約7Km |