嵯峨天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 場所と歴史をわかりやすく簡単に解説! Fri, 05 May 2023 00:22:12 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.5 https://rekishidou.com/wp-content/uploads/cropped-kofun-32x32.jpeg 嵯峨天皇 | 場所と地図 – 歴史のあと https://rekishidou.com 32 32 冷然院跡 https://rekishidou.com/reizeiin/ https://rekishidou.com/reizeiin/#respond Tue, 15 Mar 2016 02:32:41 +0000 http://rekishidou.com/?p=1986 平安時代初期から中期にかけて、天皇の離宮や後院(ごいん)となった冷然院(冷泉院)の跡。

歴史・概略

  • 冷然院(れいぜいいん)の始まりは、平安時代初期嵯峨天皇が離宮として造営したこととされ、譲位後は後院とした。以後、天喜3年(1055年)に取り壊されるまで、歴代天皇の離宮や譲位後の後院として利用されている。
  • 場所は現在の二条城の北東部分にあたり、南北2町ずつの計4町、造りは寝殿造りであったといわれる。
  • 天安2年(858年)、文徳天皇崩御。
  • 天暦3年(949年)、陽成天皇崩御。
  • 天暦8年(954年)、冷泉院に改められる。それまで冷然院は火災による焼失と再建を繰り返しており、これは冷然院の然の字が燃に繋がるとの考えから名称が変更された。
  • 天喜3年(1055年)、焼失した一条院を再建するため、殿舎が移築された。

見どころ・おすすめ

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離宮八幡宮 https://rekishidou.com/rikyuhachimangu/ https://rekishidou.com/rikyuhachimangu/#respond Thu, 25 Feb 2016 01:24:54 +0000 http://rekishidou.com/?p=1500 京都府大山崎町にある神社で、武家からの信仰が厚い八幡大神を祀る。

歴史・概略

  • 清和天皇(せいわてんのう)の勅命により、石清水八幡宮を建立したことが始まりとされる。その後、河陽宮(かやのみや)という嵯峨天皇(さがてんのう)が置いた離宮跡であることから、離宮八幡宮との名がついた。
  • 貞観年間(859年~877年)には、神官によって搾油器が発明され、荏胡麻油(えごまあぶら)の製造が開始されていった。その後、八幡宮は荏胡麻油の独占的な販売権を有し、油座として大いに栄えたという。境内には、日本最初の精油が開始された地として発祥地を示す碑が建つ。
  • 元治元年(1864年)に起った禁門の変の際、長州藩が屯所を置いていたため、幕府側の攻撃を受け建物の多くが消失してしまった。

見どころ・おすすめ

  • 河陽宮故址碑-嵯峨天皇の離宮「河陽宮」跡碑。
  • 本邦製油発祥地碑・油祖像-えごま油の製造がこの場所で開始されたことを示す碑。
  • 宝塔礎石-かつて境内に建てられていた宝塔の礎石。「禁門の変」において焼失したとされる。
  • かしき石-奈良時代頃の礎石とみられ、山崎にあった古代寺院の礎石とされるが詳細は不明。礎石はその後加工され、手水鉢として再利用されていた。
  • この周辺は「山崎の合戦」や「禁門の変」において戦場となったことから、いくつもの史跡が点在する。割と広範囲であるがまとめて回るのがおすすめ。

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平安時代初期、京都山崎に建てられた神社日本で最初に油の搾油を始め、油の製造販売の独占権を得て繁栄してきた歴史を持つ#歴史#禁門の変
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朱雀院跡 https://rekishidou.com/suzakuinato/ https://rekishidou.com/suzakuinato/#respond Wed, 20 Apr 2016 00:31:39 +0000 http://bng2.com/rekinavi/?p=359 平安時代、天皇が譲位後の御所として使用した後院跡。

歴史・概略

  • 朱雀院(すざくいん)平安京の中央を貫く朱雀大路の西側に作られ、現在の三条通りから四条通りにかけての南北4町、東西2町に及ぶ広大な敷地を有しており、後院として平安京最大の規模であった。
  • 【源氏物語】桐壺帝の父一院(光源氏の祖父)および朱雀院(光源氏の異母兄)の御所として登場。
  • その歴史は平安時代初期の第52代嵯峨天皇が造営したことに始まり、その後第54代仁明天皇が拡充した。後院としては第59代宇多天皇が用いたことが最初とされる。以降醍醐天皇朱雀天皇など累代の天皇が後院として使用した。
  • 天暦4年(950年)、火災により焼失。
  • 応和3年(963年)、村上天皇により再建。

見どころ・おすすめ

  • この西に同時代の離宮・淳和院跡があるのでそちらも合わせてどうぞ。
  • 石碑のみで特に有名な史跡でもないので近くの壬生散策のついでにでも行ったらどうでしょう。

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