京都府京都市にあった平安時代から鎌倉時代にかけての藤原氏の屋敷、および里内裏跡。
歴史・概略
- 平安時代初期の公卿・藤原冬嗣(ふじわら・ふゆつぐ)が屋敷を置いたことに始まる。冬嗣は桓武天皇から淳和天皇の4代に仕えた人物で、異例の昇進を果たしその後続く藤原氏隆盛の基礎を作った。
屋敷は石碑の南側1町四方(約110m)の範囲。そのたたずまいから閑院の名が付いたと思われ、屋敷の名から閑院大臣とも呼ばれた。 - これ以降、藤原氏によって受け継がれ、平安時代中期には藤原道長を支えた藤原公季(ふじわら・きんすえ)が伝領した。公季を初代とする一族は閑院流と呼ばれ、院政期には天皇の外戚として絶大な権力を持つに至った。
- 平安時代後期からは、荒れた大内裏に代わって里内裏として使用されるようになった。さらに後鳥羽上皇の代には鎌倉幕府によって屋敷が整備され、以降8代(後鳥羽天皇・土御門天皇・順徳天皇・仲恭天皇・後堀河天皇・四条天皇・後嵯峨天皇・後深草天皇)に渡って大内裏に代わる中心的な内裏として使われている。
その後正元2年(1259年)の火災により焼失、以降は再建されなかった。 - 室町時代後期にはこの場所に妙顕寺が建てられたが、羽柴秀吉によって移転させられ、跡には秀吉の邸宅・妙顕寺城が建てられた。
見どころ・おすすめ
- この石碑のすぐ横に閑院内裏跡地に建てられた妙顕寺城跡の碑がある。閑院内裏跡の説明書きもそちらに立てられている。
- なかなかこの石碑だけを目指すということはないと思うので堀河天皇里内裏跡や東三条殿跡、高松殿跡など付近の内裏跡をまとめて巡るか二条城のついでにでも回るのがよいかと。
史跡情報
地図 |
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【場所】
京都府京都市中京区古城町 |
主な施設 |
石碑のみ |
利用時間 |
常時 |
定休日 |
無休 |
料金 |
無料 |
交通 |
【電車】 ・地下鉄「二条城前」駅から約0.2Km ・JR「二条」駅から約1.3Km 【バス】 ・市バス「二条城前」「堀川御池」バス停 ・京都バス「堀川御池」「新町御池」バス停 【マイカー】 ・名神高速「京都南IC」から約8Km |